2009GW 突発OFF in国東
1日目 その5
掛樋隧道の上にあるもの
山浦隧道をあとにした我々は、今日の予定の目的地はほぼ制覇した。
「とりあえず空港方面に出ましょう。」
山浦隧道がある谷を県道34号にそって下っていけば、
そのまま我々は半島東端の安岐町中心地に出る。
え…っと、時計でいえば4時の位置くらいをご想像ください。
で、
そんなん、まっすぐ帰るわけ無いじゃないですか。
まず上図の左上に既に書かれているが、
明治時代が終わる2ヶ月前に完成したれっきとした明治隧道。
「朝来隧道」
めちゃくちゃ現在地から近いので、そのままGO!
そしてそのままノンストップで通過!
いや、まあ別段停まることもないかな…?と。 写真も撮らず。
見るだけで隣のnagajis氏は満足しているようなのでそのまま行こう。
朝来隧道については過去レポ参照→
で、
そのまま、県道34号を下っていく。
道路改良によって広くなり、非常に快適な県道である。
そしてしばらく走ると車は「安岐町掛樋」に差し掛かった。
そしてそこで急ハンドルギューン!
何の打ち合わせも無く、いきなり狭い道に入っていく一号車。
ただし、そこは厳選された隧道野郎たちだ。
「やっぱり曲がりやがったw」
おそらく二号車(禁煙車)の面々もそう思っただろう。
掛樋(かけひ)といえば、
掛樋隧道である。
コレも立派な明治隧道。詳細は過去レポ参照→
何でもかんでも「過去レポ参照→」ですませんのかよオマエ。
と思う向きもあるだろう。
いやね、
はじめはみんな「おお〜、やっぱ実物見てみらんとわからんなあ。」とか
隧道本体にご満悦だったんですよ。
なんか隧道の外側(下は川なんだけど)に昔の用水路を
見つけてもぐってみたり、結構楽しんでたんです。
↑何がそうさせるの?
すると誰かが気がついた。
それは隧道脇の斜面の上のほう。
「なんか石垣がある。」
どうやら、隧道の上のほうに道があるようだ。
残念ながら僕は近視で「ほらあそこ。」って言われても石垣が見えないのだが…
そして、団体で来ている強み。
誰かがその道への入り口を発見してきた。
隧道から100mくらいのところに上に登る道と、
「岩屋堂板碑」と書かれた道しるべ。
なんだこれは?
とりあえずみんなでズラズラ登っていく。
道は人が歩く程度の狭いもので、掛樋隧道の上に向かって
ずいずいと登っていく。
と、
なにやら壁に穴がボコボコ開いている。
よく見ると、どうも中に仏像を置いていたような穴。
というか、もうそれにしか使えないような穴。
それが数十となく連なっている。
でも中身が無い。
不気味だ。
多分、あるときまではここに仏像がズラズラ〜っと並んでいたのだろう。
…それも不気味だ。
(このとき、「火の鳥-鳳凰編」で我王が道脇に無心に仏像を彫りまくるシーンが浮かんだのは僕だけだろうか)
下に掛樋隧道の坑口が見えてきた。
おそらくこの下に僕には見えなかった石垣があるのだろう。
そしてすぐに反対側の坑口の真上に来た。
道は微細な地形の変化に沿ってくにゃくにゃ曲がっている。
コレは唐突すぎる。
突然現れた石像。
手前の石碑には梵字が書かれてたりして意味がわからない。
なぜこんなところに?
何のために?
そもそも誰?
石像氏に関することが何もわからないままに傍らを見れば、
手前にある石碑の説明版はあった。
岩屋堂板碑
板碑(いたひ)とは鎌倉時代から室町時代にかけて主に供養塔として多く
作られた石碑で、後に墓石としての意味合いを持つようになった石碑のことである。
って書いてある。
さらに奥には岩屋があった。
これか!
中には石仏がびっしり並べられていた。
極度に不気味だ…
来るときに見た石仏跡地(?)から全部ここに集められたのだろう。
で、なんで?
なんかいろいろな謎が残る岩屋堂板碑である。
とりあえず、道はここを頂点として下っているので、そのまま進む。
決して楽ではない石だらけの道だ。
降りてきたのは掛樋隧道からかなり離れた場所だった。
写真右端が掛樋隧道で、さっきの岩屋は中央の岩場のあたりだ。
さて、歩いて隧道まで戻ってくると…
いちいち絵になる男だ。
坑口に何かあったようで見上げている。
昔は照明設備があったようで、電線用の碍子(がいし)が残っていた。
予定外の文化財見学を終えて、いよいよ本日の探索も終盤である。
1日目は次で終了→
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2009.6.30
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