国東半島巡り 安岐町2
朝来隧道
あさくずいどう |
県道成仏杵築線(旧道) |
大分県国東市安岐町朝来 |
竣工 |
1912年(明治45年) |
延長 |
219m |
クラス会で再開した友人が「今もまだある」と教えてくれた隧道。
ここは国東市安岐町のずいぶん山の中だ。
現在その隧道は近くに峠越えのバイパスが完成し、通る人も少ないそうだ。
もうひとつ重要な情報を聞いていた。
友人「お化けが出るらしい」
全国津々浦々、おそらく80%くらいのトンネルでその話は聞く。
後にレポする新涯隧道では「馬のお化けに追いかけられた」という超一級の話もあった。
しかし酔っているとはいえ30過ぎた妻子持ちの責任ある男の口から出た言葉だ。
多分出るんだろう。
何を隠そう管理人はお化けが生牡蛎と同じくらい苦手だ。
掛樋隧道からさらに山に向かって県道豊後高田安岐線を走り、オニギリみたいな山を
通り過ぎたら、県道405号成仏杵築線との分岐が現れる。
うむ。確かにヤツの言うとおり非常に快適なバイパスが出来ている。
写真奥左折で旧道だ。
見えづらいが、ヘキサ(県道標識の俗称:六角形)が残っている。
朝来隧道 安岐(西)側坑口
まあ、見る人が見ればお化けが出るトンネルに見えるのだろう。
ポータルは石積みをセメントで補修している。
坑口付近は、外側から石積み→コンクリートブロック積み→モルタル吹付けと
忙しく変化する。いずれも状態は良い。
さあ、大きな画像で見てもらおう。
あなたにはこの写真の中にいくつの霊が写っているのが見えますか?
僕には見えませんが。見えてたまるか。こ、怖くなんかないぞ…
朝来隧道 朝来(東)側坑口
こちらは立派な石積みポータルが残っている。
中途半端な暗さのためピンボケしてしまったが、「道隧来朝」の扁額。
こちらも中は複数の工法が施され、めまぐるしく内径が変わる。
西側坑口の近くに道路改築碑と書かれた記念碑があるも、隧道のことは書いていなかった。
裏に回ってみると大正四年の碑であることはわかった。
↓問題は西側坑口横にあった扁額である。
コレハ ナント カイテアルノディスカ?
「明治四十五年五月竣工」は読める。
明治天皇崩御の2ヶ月前だ。
左端には多分代表者の名前。
問題は一番でかいフォントで書かれたオマエだよ。
現地で僕は、以下のように読んだ。
「石 祢 ん (解読不可能) く き な」
右から読んでも左から読んでも、まったくもって意味不明。
なんで漢字かな混じりなんだ!?
あきらめて写真だけ撮って帰ってきて、すっかり忘れていた。
そして数週間後、tunnelwebのtaihei氏が同隧道のレポをご自身のページにアップされた。
氏は、さらっと「その扁額には『阿さくとん祢る』と書かれていて…」と解説していた。
「る 祢 ん と く さ 阿」
る ね ん と く さ あ
反則です。
よく気づきましたねとBBSで感想を伝えると、
氏は「さ」と「と」も漢字ではないかと言われていたので、じっと眺めてみた。
そして僕が出した答えは、
「左」と「留」は強引に。「と」は上の3つのちょんちょんが気になってコレ。
どうですかねえtaiheiさん…
明治時代は『トンネル』と言う単語もハイカラなものでこういう「遊び」があったのだろうか?
当時、東京浅草の神谷バーで作られたリキュールが「電気ブラン」と名づけられたように。
(当時ハイカラなものはなぜか頭に「電気」と付けるのが流行った)
ともあれ、
なんか、お化けとかどーでもよくなった。
おわり
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2008.1.31
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