・壊された隧道は2代目。もっと前から小さなトンネルがあった。
(これが安政5年製か?)
・彼のおじいさんの時代に拡幅工事があったようだ。
・なので「文化財としての価値があるんではないか」との話にもなったが、
既に開削もされているわけだし…ってことで取り壊しになった。
・取り壊しは発破にて行おうとしたが、すぐ近くにある「瑞巌寺磨崖仏」に
影響があるとして、重機による開削となった。
(磨崖物のほうはれっきとした大分県指定史跡)
・隧道が出来る前は川にせり出した岩壁を鎖を頼りに渡っており、
そのため多くの遭難者が出ていた。(青の洞門と同じだ)
もしくは(トンネルの上の)岩山にあった掘割りを越えていた。
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