大分県玖珠郡探検隊 トンネル
瑞巌寺隧道
ずいがんじずいどう 一般県道 下恵良九重線
大分県玖珠郡九重町書曲(かいまげ)
竣工 江戸時代説 延長 18m

御経塚隧道跡を後にした我々探検隊は一路本日のメインディッシュである
「丸塚隧道」を目指す。と思っていたら前の二人の車が止まった。

あれ?と思って、頂いていた古地図を見ればそこには隧道マーク。


国土地理院発行 2万5千分の1地形図 「豊後森」

現在、上図の右下の赤丸の位置。既に九重町に入っている。



さて、どうしたものか。みんなこの隧道マークに気が付いていたが、
詳細がわからない。

わからなけりゃ聞いてみな。とのことで、畑仕事中のおじいさんを直撃。
「すみませーん。ここに昔トンネルってありましたか?」

相変わらず大の大人が4人がかりで変な質問である。

古老によれば隧道は車を止めた位置から少し西側。
ちょうど下写真左端の法面あたりにあったという。



おや、手前に何か石碑のようなものが埋められているぞ。



瑞巌寺隧道取壊記念!

記念しちゃってるよ。

「作りました!やりました!」記念ならどこでも見るが、
「壊しちゃいました〜」記念は初めて見た。

とりあえずここに昭和54年まであった隧道の名は「瑞巌寺隧道」と判明。



もうひとつ、どうやら寄付金の額を書き込んだ石碑もあった。

管理人は細かい字を読むのが苦手なので写真だけ撮っていたら、
チョメさんとtaiheiさんはこれを解読。なんと安政5年(1858年)と判明。
→詳しくはtaiheiさんのサイトへ

隧道完成が安政5年なの?150年前ですぜ?江戸時代ですぜ?
(ちなみに大分県が世界に誇る「青の洞門」は宝暦13年(1763年)完成)


かたや古老は相変わらず我々探検隊の質問攻めにあっている。
「トンネルのこと調べてまわりよんのか?」と言いながらいろいろ教えてくれた。

氏の話を要約すれば、

・壊された隧道は2代目。もっと前から小さなトンネルがあった。
 (これが安政5年製か?)
・彼のおじいさんの時代に拡幅工事があったようだ。

・なので「文化財としての価値があるんではないか」との話にもなったが、
  既に開削もされているわけだし…ってことで取り壊しになった。

・取り壊しは発破にて行おうとしたが、すぐ近くにある「瑞巌寺磨崖仏」に
 影響があるとして、重機による開削となった。
 (磨崖物のほうはれっきとした大分県指定史跡)

・隧道が出来る前は川にせり出した岩壁を鎖を頼りに渡っており、
 そのため多くの遭難者が出ていた。(青の洞門と同じだ)
 もしくは(トンネルの上の)岩山にあった掘割りを越えていた。

そして、「写真が公民館にあるんじゃ。見るか?」。

一同「ぜひ!」

親切なおじいさんである。わざわざ区長さんに鍵を借りに行き
公民館を開けてくれた。畑はいいんすか?

「あれ?ないのお。前はかざっちょったんじゃが。」

いろんな表彰状は掛けられているが、隧道写真は見当たりませんが…。

しかしこんな時にしか役に立たない「TEC-EYES」は
床の間に置かれていた額縁を見逃さなかった。



これは非常に貴重なものであるが、いわゆる遺影…

坑口の横に例の寄付金関係の石碑がある。先ほどの写真と比べてみよう。



岩山は綺麗に開削され、川にせり出していた鬼門の岩壁も、
現在は親切なおじいさんが耕す畑となっている。

公民館をあとにし、古老に丁重に礼をつげ、我々は車に戻る。

はずだったが、「ヤブ大好き」という特殊な趣向をもたれているたれぞ〜氏
山の上を見上げている。

「掘割りがあったって言ってたな…」

この一言で一同山に入ることに。

途中道を間違え、本気で登山になりかけたが、無事掘割りに到達。
これは狭い。


そして掘割り東側に道はなく、我々は落ちるように下山。ヤブ好きの約一名は本当に「滑落」


旧ルートを考察する探検隊

本体はもう無いのになぜか内容の濃い探索終了。


■知っておくと割とお得な豆知識■

さて、瑞巌寺隧道をはじめとして、大分県南部は古い素掘りの隧道が多い。
これは僕の考察であるが、「この辺はすごく掘りやすい地質」だからだと考えられる。

掘りやすい=適度に軟らかい・水分が少ない・亀裂が少ない

瑞巌寺隧道周辺の、とある地図を見ていただこう。



なかなか見慣れない方も多いと思うがこれは「表層地質図」。
つまりどんな地層が分布しているかを地図上に記入した地図である。

瑞巌寺隧道は水色の中にある(図中央やや下の赤丸)。

この地図で「A1」と描かれた地質名は「溶結凝灰岩」。
鹿倉隧道でも触れたが、火砕流が一旦堆積した後に自らの熱で
再度溶解し、その後固まったものである。
この中でも「弱or中溶結凝灰岩」はもちろんある程度の強度は持つが
「つるはし」でも比較的簡単に掘れる。
(これが「強溶結」になると発破も辞さないレベル)

そしてこの水色。地層名は「阿蘇4火砕流堆積物」という。


阿蘇4火砕流堆積物  (軽石混じり)中溶結凝灰岩

熊本県の阿蘇山は、今から約30万〜8万年前にかけて4回の大噴火を起こしている。

そして最後の4回目。

世界最大級の「阿蘇カルデラ」を出現させた大噴火が発生。
一説には富士山並に高かったと言う旧阿蘇山は大量の溶岩,火山灰,火山ガスを噴出。
中空となった巨大な山体は裾野をカルデラという形で残し煙の中に消えた。

その際の火砕流(火山ガスと火山灰と、たまに軽石とか、の混合物)は
九州中部を覆うにとどまらず、遠く山口県まで到達。
大気中に吹き上げられた火山灰は北海道にまで達した。

あらゆる生命体は絶滅したかに見えた…
だが、人類は死に絶えてはいなかった!!

♪ユワッシャー!

誰か僕を殴ってください。

で、そんなカタストロフィーのなか形成された阿蘇4火砕流堆積物。
熊本県はもちろん、宮崎県高千穂地方、そして大分県南部にも厚く堆積。

そして人類が「穴を掘って向こうに行く」ってことを覚えた時、
地域の発展を夢見る強敵(とも)たちによって穴だらけにされた。

…というのが僕の仮説ね。


しかし会社の備品を「ちょっと借りまーす」でスキャンして持って帰る
とんでもないヤツが世の中にはいるものだ。
管理人の正体を知る関係者!黙っとけよ?

朝倉書店「日本地質図大系〈九州地方〉」 
値段を見て驚いてください。
(よければ買ってください)


次回遂に最強隧道見参!→


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2008.4.14


丸塚隧道
丸塚隧道
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