大分県玖珠郡探検隊 トンネル1
御経塚隧道
おきょうづか(?)ずいどう 一般県道 書曲野田線
大分県玖珠郡玖珠町岩室
竣工 1911年(明治44年) 延長 50〜70mくらい

鹿倉隧道を攻略した我々は、続いて玖珠町内に入り、
「過去にあったらしい」という隧道の跡地を目指す。

今回の探索はチョメさんが日本の廃道のnagajis氏より頂いたと言う古地図を元に
ルートを決めウロウロしたものであります。nagajisさんありがとうございます。


国土地理院発行 2万5千分の1地形図 「豊後森」

さて、場所は地図中央赤丸の辺りで間違いはないはずである。
しかし地形図を見る限り、なんでここに隧道があるの?といった趣。

現在は開削されており、地図にはもちろん描かれていない。

しかし昭和2年の地図には確かに 「 )( 」 が描かれているのだ。



↓で、現地



本当に、なんでここに隧道があったの?と思わせる平坦地形。

ちなみに、このとき僕は隧道の北側出口付近に立ち、玖珠町中心方面を
向いて写真を撮っていることになる。

わからん…

何度地形図と実際の地形を照らし合わせてももわからない。

写っていないが写真右にガソリンスタンドがあるので、ここで聞いてみることにした

ちょうど外に出てこられた店長さんに声をかけてみる。

「すみませーん。ここに昔トンネルありました?」
さっきの鹿倉隧道から直接来たため、我々4人とも長靴着用である。

何の集団なんだろうかと思ったはずだが、氏はあっさりと
「ああ、今あんたらが立っとるトコよ。ここがずっとトンネルやった。」

曰くほんとにここに狭い隧道があったそうな。
しかし県道改良によって、その面影は完全に消えてしまったそうだ。
店長も完全には覚えておられなかった。



何もわからないでは不完全燃焼感たっぷりなので、とりあえず僕は
細微な地形変換点を現地で何とか読み取り、歩測にて延長を測ってみた。
それがスペックに書いてある50〜70m。アバウトにもほどがある。

しかも地形判読・歩測に一生懸命で、写真を2枚しか撮っていない。

過去の隧道を再現して見たが、いかんせん絵心がないもので…
(例によってマウスをのっけて)



で、僕が一人うろうろしている間に、他の隊員は店長に捕まり
いろいろと話を聞かされていたそうだ。

「昔ここの川原に刑場があってな、」
「今でも"出る"って話。」

何が出るって、ここにあったのは「御経塚隧道」ですから。

一般県道 書曲野田線(県道678号線)

この道路は町西部の野田地区から隧道の南、書曲(かいまげ)地区を結ぶ県道である。
かつては豊後森駅の駅前通として主要な役割があったようだが、玖珠側対岸の
国道の整備が進み、現在ではすっかり市町村道のような趣の道路である。

明治末期、この地域の道路のうち鷹巣地区(現帆足?)から岩室地区までを
直線的に開削改良。、東飯田村(現九重町)までを繋げ、御経塚隧道も同時期に
建設されたと資料にある。明治44年のことである。

平岡昭利 著 古今書院


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2008.4.11


瑞巌寺隧道
瑞巌寺隧道
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