大分県玖珠郡探検隊 トンネル2
丸塚隧道
まるづかずいどう 九重町道
大分県玖珠郡九重町丸塚
竣工(改修) 1898年(明治31年) 延長 151m

今回の探索のメインディッシュが、玖珠町の東、九重町にある隧道。
この隧道は2007年夏、単身この地に乗り込んでいたチョメ氏が発見し、
その様相から単独行を断念した隧道である。

その理由はすぐにわかる。

まずは丸塚隧道の概要から。


国土地理院発行 2万5千分の1地形図 「豊後森」

現在、隧道の東に県道が通っており、松木川に沿って玖珠方面へと通じている。
しかし途中は竜門の滝に代表される渓谷地帯。
明治時代にこの渓谷に道路を築くのは困難であったのだろう。
小山一つ越した西側にそのルートはとられていた。

そして、渓谷をショートカットするために設けられたのが丸塚隧道である。

では行ってみましょう。





ここは松木川沿いに県道を北上し、ちょっと山に入ったところ。
隧道の東側からのアプローチである。
すでに前方から妖しいオーラがガンガン感じられる。

チョメ氏の話ではとにかくヤバイ隧道だという…


ドキドキするぜ…



で、車を降りればいきなりコレだ。
心の準備すら与えないと言うのか!



丸塚隧道 田尻側(東側)坑口

「坑口」とか「坑門」、いや「人工物」と言う概念が吹っ飛ぶこの姿。
なにやら魔物の住みかのようなたたずまいである。
こんなトコ一人で入れるか!


とても大事なことが書かれているように見えるが、写真を撮っているときは
不思議とファインダーに入っていなかった。魔物の仕業だ。




坑口横の壁にはキレイな地層が見える。ここは水成層(水の底でたまった地層)だ。




マモノの住みかに入って振り返る。
これが隧道だと言うのか。



内部は坑口からすぐにカーブする。
というか、坑口が異形すぎてどうなっているやらワケがわからん。





マモノは隧道の壁といわず天井と言わず、我々を虎視眈々と狙っている。
我々の運気が悪い、否、日ごろの行いが悪いものがいれば、すぐにでも
天井から人頭大の岩が落ちてくる仕掛けになっている。




岩盤にはいたるところに亀裂や小断層が見られ、水が染み出している所も。

瑞巌寺隧道でお世話になった古老はこの隧道に関しても言っていた。

「地質が脆くて崩れやすい。あそこは危ない。」

意味はわかった。

長居は無用。というか帰りたい。


と、


突然地盤が変化した。こちらは散々既出の火砕流堆積物。
乾いており、坑内の形状もしっかり保たれている。



丸塚隧道 玖珠側(西側)坑口

こちらは坑口の形状もしっかりしている。(あくまで比較的だが)。


さて、この隧道。明治31年(1898年)に改修されている。

改修である。間違いではない。

隧道自体はさらに遡り、明治25年(1892年)に竣工している。

明治32年、旧帝国陸軍は大陸方面での戦線拡大をにらみ、
旧満州に地形が似ていると言うことで、大分県日出生台(ひじゅうだい)において
軍事演習を行った。現在の「日出生台演習場」の始まりである。

日出生台周辺の土地を接取するに当たり、まずは武器弾薬の輸送ルートの
確保が先決である。しかし、当時砲車等の大型武器を通せるルートがなく、
丸塚隧道を拡幅することで玖珠方面からの運送を可能にしたという。




異形の隧道は日露戦争前夜に生まれ、演習ながら「軍事ルート」にもなり、
そしていつしか森の中に沈み、静かに余生を過ごしていた。

もう戦車も通らない。新しい林道も出来た。
もう役目は何もないはずだ。

しかし、なぜかそんな山奥に我々隧道野郎達は引き寄せられた。


魔物の仕業だ。


探索は続く→



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2008.5.5


竜門トンネル
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