2009GW 突発OFF in国東

2日目 その2−2
一円坊隧道はホントにあるのか?ツアー その2

なんかいつも我々のOFFは、未発見物が対象だと
最初の30分は道に迷っている気がする…

で、


↓いまここ


斜面の下からチョメ氏の声が聞こえ、そちらを見てみると
既に2人の男が満足げにヤツの前にいるのが見えた。



「どうやって落ちればいいですか〜?」

と叫んで、答えも聞かずに転がり落ちてみると…





ドン!

一円坊隧道 畑側坑口

アドレナリン 一気に全開ZONE

「無い」と思っていた。
さらに、あったとしても小さな洞窟みたいなヤツだと思っていた。

なんと綺麗な円形だろうか…

正直、明治時代のまま、洞窟みたいなイビツな坑口を予想していたが、
意外なほどにそれは整った形をしていた。

おそらく明治23年の開通後、何度かの改良を経て現在の幅員となっているのだろう。

コレなら「町道」としても(ぎりぎり)通用するだろう。
ってか何年前の基準でだよって話だが。

さて、思いのほか良好な状態で発見された一円坊隧道だが、
長年の崩落によるものだろう。
3分の1ほどは埋没しているようにも見える。


短い隧道の先にはおそらく反対側から発見したのだろう、マフ巻き氏が立っていた。
すごいよアンタ等。どうやって見つけたのこんなの。

普通隧道ってのは道をたどっていって「発見」するのが定石だと思ってた。
我々はぜんぜん違う道、もとい山肌を歩き回り、
その直上から急降下爆撃のごとくたどり着いた。



やっぱ、この人たちと来て正解だったわ。



しかし、外側から見るのに対して、どうも中はイビツな断面となっている。

特筆すべきは、


一円坊側のみが天井が高く、隧道中心部で縦断面が大きく食い違う。
迎え掘りの失敗か、拡幅しようとして途中でやめたか、
こちらだけがどんどん崩落しているのか…



一円坊隧道 一円坊側坑口

ただ、坑口はこうやって整っているから、なんか不思議。
僕的には中だけが崩落しているように感じる。

普通は両坑口が崩落で高くなっているのに、この隧道は
真ん中あたりが一番土砂が溜まっていて高くなっているから。





さて、我々は隧道にはたどり着いたが、その前後の道をまったく確認していない。
なかなか無いことだが、経緯が経緯なだけに。


ということでこの道が本当に畑地区まで続いているのか?

コレを確認したいが、一円坊側の道路も確認したい。
さっきドコをどう間違って入山したのか?コレが知りたい。




畑側(青線)はなにやら怪しい道が途中まで描かれている。
おそらく廃道はこの線に合流するように続いているだろう。

そして一円坊側(赤線)


道あんの?


ということで、一円坊側の神社に車を置いているので、
ドライバーの僕と福岡の自転車のり氏が一円坊側を、

nagajis、チョメ、マフ巻きの3氏が畑側をそれぞれ手分けして探索し、
僕等ドライバーが畑地区まで車で迎えに行き、再び合流することにした。





畑側に消えていく彼等を見送り、
我々も歩き出した。





こちらは道が比較的はっきりと残っており、歩きやすい。




谷を跨ぐところには立派な堤が築かれており、
立派に「道」として機能している。


年季の入った石垣がそれを支える。



道は地形に逆らわず、山肌に沿うように徐々に下っていく、
途中写真のような倒木や路肩崩壊もあったが、歩くのに問題はない。









町道としては問題である。

ってか、ほんとに町道だったんなら、






現在合併により「市道」である。

↓国東市道


市道・町道と聞けば、イメージ的には舗装されててもよさそうなもんだが、
ここはそんなの関係なく、「林道ですが何か?」といった趣だ。

もちろん車では来れないし、
「オレ様のジ○ニーなら余裕だぜ!」って言う人がいたら、
ぜひ挑戦してほしいが、99%転げ落ちるよ?

変なこと描いたが、絶対に車とかオフロードバイクでこの道入ろうとか
思わないで下さい。理由はあとでわかります。




だんだん道もはっきりしてきて、前方も明るくなってきた。
出口は近い。

と、唯一の分岐点が現れた。上の写真の右手に降りる道が分かれている。




覗いてみれば、どうやら下っていく道は我々が最初にさまよった
畑や、その上の斜面あたりに続いているようだ。





さて、いよいよ出口が来たようだ。明るく輝く緑が見える。

さて、この道はドコに出るのだろうか?










うわ!

いきなりの民家裏である。コレは気まずい!

山側には立派な擁壁(ようへき)が築かれている。
あとで看板で確認したがここは「急傾斜地崩壊危険箇所」

都道府県知事によって「がけ崩れの恐れあり」と指定される区域である。




その脇に出てくる道。これは気がつかん。

既にこの時点で車両通行止め。というか通行拒否。


道はここで、舗装路と合流。



この舗装路はこのまま畑地区の先、犬鼻峠に向かっている。
地図上で気がついてはいたが、隧道があるような道ではなさそうだったので
思考から除外していた。結果これが仇になり、入り口を間違えた。





舗装路を下っていきながら先ほど来た方向を眺めてみる。
右手のコンクリート擁壁の左側から山に入り、隧道へと向かう。




舗装路は程なくして県道31号線と合流。




さて、車に戻ってきた。




彼等を迎えに行こう。




畑地区まで登ってきた。雄大な景色である。
見づらいが、写真中央の尾根に一円坊隧道は眠っている。

そしてこの写真のドコかを彼等が歩いているはずだ。


このとき、彼等はどうしていたのか?

彼等は僕たち一円坊方面組とは比較にならないほど大変な目にあっていた。



三氏より頂いた写真を元に再現してみよう。





僕等と別れ、一円坊隧道に消えた彼等を待っていたのは





この廃道だった。


一円坊側と同じく、地形に沿って下っていく道ではあったが、


なんか石ゴロゴロしていたそうな。
一円坊側には目立った落石とかは無かったが。




程なくしてはっきりとした道がいったん現れる。






おお、なかなか順調そうな道ではないか。



向こうと同じように古びた石垣も残っている。


で、



だんだん様子が変になってくる。
道の山側が崩れ、復旧しないとこうなるというお手本のようだ。




で、こうなった。
道にあったらいやなものが全部あるような写真だ。
チョメ氏がんばって進んでいる。


かなりの距離をこの状態で進み、
道は例の「怪しい点線」の辺りまでやってきた。


すばらしく美しい「直壁」が残っており、道も落ち着いてきた。

そしてそのまま彼等は畑地区まで歩き通し、
隧道で分かれてから1時間弱の時間をかけて、


畑地区で県道652号に合流した。




我々も合流した。
(ちょうど反対側からの写真)








右奥が一円坊隧道がある尾根。
彼等はこの写真に写っている全区間を踏破した。

僕等ちょっと楽しすぎたかな(笑)





結局我々歩いた全区間は上図のようになる。

一円坊隧道。

明治23年開通。

ということは上の道もまた明治23年には開通していたことになる。

赤根から畑地区へ登るくにゃくにゃの県道652号線。
この道路改良は昭和40年代に行われている。

おそらくそのあたりまでは、一円坊隧道のある道も
主要な道の一つだったんじゃないかと推測する。


明治36年測量 大日本帝国陸地測量部発行五万分の一地形図「鶴川」

と思ったけど、明治36年の段階で両側点線の道。
とても馬車すら通れない里道であったようだ…
そして昭和に入って地図から消えた。


いったいなんだったんだこの道。



ともあれ、2009年春。

我々は今回のOFFで二つ目の「未発見隧道」にたどり着いた。


うーん。






上出来すぎる。



そろそろラストスパート→


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2009.8.5


チギリメン隧道の奥まで行く
チギリメン隧道の奥まで行く
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