2009GW 突発OFF in国東

2日目 その3
チギリメン隧道の奥まで行く

一円坊隧道を発見し、二手に別れてその廃道を巡った我々は、
無事に一人の遭難者も無く(大げさ)合流することが出来た。

そのまま意気揚々と赤根地区を後にし、伊美谷を下っていく。

そして行き着く場所はというと、



この、「平場+車突っ込み+その奥」構図でおなじみの、





チギリメン隧道である。


この全国区的廃隧道についてはこちら→でおさらいしていただくとして、





相変わらずの暗闇。



今回のメンバー、意外にもここに来たことあるのはワタクシとチョメ氏の2人のみ。
あの時は閉塞点まで行けずに、途中で引き返したが…




「怖い」ということについては完全にヒューズのぶっ飛んでいるメンバー。

どうやら数百メートル先の閉塞点まで行くようだ。

だいたい前を行く方々は「怖い」というよりは、
「踏破してこその隧道」と言う観念によって頭が麻痺している。

途中が行き止まりなんだよ?この隧道。



前回は気がつかなかったが、さまざまな火山性の堆積構造が
隧道の壁には現れている。




地層とは並行ではなく、複雑なものだと認識できる。
全国の地学を学ぶ学生は堆積学実習でここに来るべきである。



入る度胸があればな。



あと、





コウモリが平気ならな。


もう大量にいますよ。



さて、そんなコウモリなど、その辺にいるスズメくらいに思っているであろうメンバー。
どんどん先に進んでいく。



さて、突然天井が低くなった。

ついに我々は「あそこ」に到達したようだ。


コンマ数秒後に頭をぶつけることになる男性。


さて、正確にどれだけ歩いたかはわからないが、

我々は、






チギリメン隧道の閉塞点に到達した。

写真で見たことあるとおりの、それは物々しい土砂の壁だった。



この丸太の様子からも、おそらくコレは人工的に埋められたんじゃないかと
思うんだが、どうなんだろうか。

ちなみにチョメ氏の「手ぶれ防止のためセルフタイマーを使う」殺法は参考にしたい。

この土砂をスコップでどれだけ掘ったら、チギリメン隧道の向こう側に行けるのだろう。


向こう側の坑口跡(平成20年撮影)





ということでここでも記念写真を撮るメンバー。

みな満足げだ。

まあアレだけ有名なんだもんなあこの隧道。(業界内で)



何を撮っているのか、あえて聞くことはしなかった。







チギリメン隧道(改)について

さて、僕は昨年のチョメ氏との探検レポのあとに、おまけとして
この隧道が再利用される計画があったことを述べた。

そのレポ→



この竹田津干拓のために隣の伊美谷より農業用水を山を越えて
運んでくるという壮大な灌漑用水計画。


その計画の際に、山を越す水道としてチギリメン隧道が使われることになっていた
という衝撃的事実を聞き、情報提供者の言うとおりに
伊美川の下流域においてポンプ施設の跡を確認した。



伊美川取水施設


さて、結局昨年の段階では「その計画自体は無くなってしまった」と聞いた。

しかし、廃隧道を水道として再活用しようという計画は
非常に興味深いものである。

nagajis氏は昨年発行の「廃道本」においても、チギリメン隧道を紹介する際、
そのエピソードを載せてくれた。ありがとうございます。




引用:
「昭和40年代には伊美谷からこの隧道を経由して竹田津干拓地へ灌漑用水を送る計画があったとか。」
「隧道(すいどう)が水道に、が実現しなかったのはちと残念だ。」






















ごめんなさい!!














■真相…■

今回の帰省に際し、僕は再びその情報提供者
「結局のところどうなっているのか?」と聞いてみた。

取水施設があるんだから、用水計画自体は進んだのか?って話ですよ。







親父「いや、トンネル通したんじゃねーか?」




アンタ去年言ってたことと違うでしょ!


僕「いや、行ったけどさ、トンネルの中パイプもなんもないで?」



なんもないよな?


その場はそれ以上話が続かなかったが、

話は意外なルートから急転直下を見た。


先ほどのワタクシと父の会話を聞いていたである。

翌日。我々が国東に集まった日。
母は実家の兄弟たちと親戚のいる町のお祭りに参加していた。

ちなみに母はそのお祭りに行く途中、車の中から
「黒津崎駐車場に集結している我々」を目撃している。

このとき、後ろの国道を通っていったらしい。


そしてお祭りも終わりみんな親戚の家で飲みなおしているときに
兄、つまり僕の伯父にこんなことを聞いた。

「あんなあ、うちのてっちゃん(あ、僕ね)が古いトンネルんことを調べて回りよんのやけど、」
「中村(国見中町、チギリメンの伊美側)の上んトンネルは、あれは水道が通ったんやろうか?」


母、息子思いにも程がある。お祭りの席である。
我々が国東を巡っていたとき、こんな会話がなされていたのである。



伯父(泥酔中)「お〜?ありゃあ、あそこをパイプ通したぞ。それじ竹田津に水が行きよんのじゃ。」

「いやな、てっちゃんがトンネル行ったけどパイプが無かったち。」

伯父「そりゃそうじゃあ。あそこん地面の下にパイプ埋めたんじゃ〜。


なにぃ〜!!

母の言葉に思わず叫ぶ。



この下にパイプが!!

それは本当なんだろうか?
なんせ相手は泥酔中である。一族で一番の酒呑みである。
(二番目は今あなたが読んでいる文章を書いている男だ)


ただし彼の口から出た言葉が事実を裏付ける。



伯父「うちの会社が工事したんじゃけん!」

彼がまだ若かったころ、この隧道で工事をしたとのことだ。

ちなみに彼、最近では走水トンネル(二代目)の工事にも従事している。

なんで僕の周りはこんな人物ばかりなんだ。
ご都合主義と呼ばれても仕方ないキャスティングだ。




ともあれnagajisさんごめんなさい!
あそこ、水道になってます!


全国で○○部も売れた本に間違いの情報を提供してしまった…


(※結局坑口を埋めて塞いだかどうかは今度聞いてきます)






■その後…■

伯父「で、てつろーはなんでそんな古いトンネルやら調べよんのか?」
「コウモリの養殖でもするんか?」(←需要があんのかよ)

「まあトンネルんことならなんでんオレに聞け〜。♪※△×○〜」(なんか歌いだしたようだ)






もう嫌、この血。






■その後…(2009お盆追記)20090822■

上記までの内容をアップした後、僕はお盆のため帰省。
そして「うちでバーベキューやるから来い。」という上記伯父宅
お邪魔し、いとこ、親戚集まって庭での楽しいひと時。

(伯父はうちの親父が持ってくる海産物が毎年楽しみで、催促の電話までしてきた。)

さて、自分の息子に頼んで、なぜか自宅に生ビールサーバーまで導入させた伯父と
それぞれ数え切れないほどのジョッキ(普通家にあるか?)を空けたあと、僕は切り出した。


以下、一族のナンバー1とナンバー2の会話。
(標準語訳が必要な方はメールください)

「でな〜…、うん、あそこのトンネルやっちゃ。かーちゃんから聞いた〜?」

「お〜う、ありゃあのお、下んトンネル(妙見隧道)を今通しちょんじゃ〜。」


下のトンネル(妙見隧道)

「はあ?上(チギリメン)通しちょんっち言ったわ〜。」

「ハナ(最初は)上を通したんじゃ。でん崩壊が激しいっち下に切り替えたんじゃ。」

「ほな、上もまだパイプは埋まっちょんの?あと、向こう側は埋めたんかえ?」

「パイプはまだあんはっじゃ(あるはずだ)。向こうん坑口を埋めたかどうかは知らん。」


「なんえ?(なんだよ)。コウモリは昔からおったんかえ。」

「お〜、こげえの?入っちから天井一杯。おいどー(俺たち)が取り行きよったんじゃ〜。」

「なし(なぜ)コウモリなの(なんか)取りに行くんかえ〜。食うんか?」

「じゃけんコウモリがこげ〜おるけんの〜。」

「じゃけん、食うんかっち聞きよる。」

「ちょっと一杯ビール注いじけ〜(注いで来い)。」

「おっしゃ、オレが居酒屋んバイトで5年鍛えた腕で注いで…」

…「… …。」


途中からよく覚えてないのだが、総括すると、

チギリメン隧道には確かにパイプが通ったが、隧道の崩壊が激しかったため、
その後、下の妙見隧道に切り替えて運用。ただし現在使われているか不明。



ってこと。


そして、酔っ払いの会話で最も注目すべきは以下。

「いつ、向こう側の坑口は崩れたか埋めたかしたん?」
伯父「あそこは、真ん中あたりが崩れちょったじゃろうが。」



真…ん中…だと…?






ここと、



ここは繋がっていないってこと?




その間には…?


また謎が残ったよ…次行こ…→


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