2009GW 突発OFF in国東

1日目 その1−1
最後の隧道 その1

その隧道を僕は「最後の隧道」と呼んでいる。

国東半島にある隧道はそのすべてを把握しているつもりでいた。

古い時代に作られたものも、概ね踏破したつもりでいた。

初代竹田津、チギリメン、浜ノ上…

どれも屈強な強敵だった(精神的に)


しかし昨年9月。
国東市在住といわれる読者S様より、このような情報が寄せられた。

「国東の深江から堅来(かたく)に越える道に古い隧道があったそうです。」

曰く、地元の古老たちとの会話の中で、ふとそんな話が出たそうである。

「深江から堅来ぅ〜?」


このあたりの地理に通じていれば、それが意外な話とわかる。


国土地理院発行 2万5千分の1地形図「富来浦」

堅来地区、深江地区は、南の国東市中心部から国見方面に向かう途中にある。

地図からもわかるように、このあたりは明治44年開通の「北部沿岸道路」を基にした
国道213号線によって海岸部で連絡している。

この海岸沿いには隧道など無いし、これまでもあったことが無い。
古地図をすべてあたるも、そういうものは見当たらない。

S様からの情報をまとめてみるとこうだ。

・ 両地区のかさ(大分語:内陸部の意)をつないでいる。
・ 堅来地区の小学校のあたりに出てくる道。       
・ 現在は誰も通らず、おそらくすんごい藪
確かに両地区とも、内陸部にも集落がある。特に深江地区は
内陸部のほうがまとまった集落になっているので、
海を回らないルートが堅来地区との行き来に便が良かったのだろう。

「小学校」とあるが、これは現在は廃校となってしまっている
「堅来小学校」のことであると考えられる。

とにかく、本当にこの隧道があるのなら、

それは僕にとって「国東最後の隧道」なのだ。


ってことで、ちょっと古地図チェケ。


昭和26年応急修正 五万分の一地形図「鶴川」
建設省地理調査所発行

おそらく道があるとすれば上図の中央部で尾根を越えている点線だろう。

僕は11月に実家に帰った際に、ちょっと情報を探しにこの地を訪れ、
そこに確かに隧道があったことを深江・堅来両地区の古老より聞いた。
御歳84歳という元気なおばあさんは、「私が小学校くらいにできた」と言っておられた。
このことからも大正末期〜昭和初期のものであることがわかる。

そしてその道の目的は主に「通学路」だったと言う。
なるほど。確かに小学校に通うには最短ルートだ。


しかし、そんな中、堅来地区の男性はこう僕に伝えるのだった。

「もう何十年も行ってねーけど、入り口がつぶれて水が溜まっちょらんじゃろうか

せっかくここまで来たのにそりゃ無いぜ。

とは思ったが、地元の人ですら何十年もその様子を見ていないのだ。

可能性にかけてもいいじゃないか。


ただし、おそらく「素掘りの不気味な隧道」であることに間違いなさそう。

一人で行くのか…ちょっときついな…



そう思ってるとこに、

「OFFで国東行こうか〜」

と言ってくる団体様ご一行。ちょうど良かった。


と言うことで、ゴールデンウイークOFFの一発目。

「国東最後の隧道はホントにあるのか?ツアー」

の幕開けである。


詳しいことは知らずに、車内でタバコぷかぷかやってる方々にがんばって頂こうっと。



さて、今回は事前情報より、北側の深江地区からのアプローチは
道が完全に崩壊していると聞いていたので、南の堅来から行くことに。



普段海岸部の国道ばかり使っているので、内陸の集落に来るのは初めてだ。

で、僕は朝からずーーっと気にしていたことがあった。


それは、


                               nagajis氏撮影
この団体である。

連休のさなかに大の大人が7人でぞろぞろ。
渋谷駅前スクランブル交差点ならまだしも、ここは田舎のとある一角なのだ。
しかもリュックを担いで、手には三脚。

確実に目立つ。確実に怪しい。

どこかの家の中の人が怪しんで通報してもおかしくないレベル。

僕は「早く地元の人が現れてくれんか〜」と心の中で思っていた。


                            nagajis氏撮影
とかくこういった探索で地元の人を避けようとする人もいるが、
こういう場合は積極的に接触したほうが、早期に地元の方の「疑惑の目」を
晴らすこともできるし、情報ももらえたりするものだ。

と、

第一村人発見。

おじいさんが畑仕事中である。


                                     nagajis氏撮影(いつの間に?)
早速僕は「すみませーーん!」と叫びながら走っていった。

こういうときの挨拶はもはや定型文である。
「僕たち、このあたりの古い道を調べてまして。この近くにトンネルがあったって聞いたんですが。」

これを笑顔で言えればOK。

はじめは驚いた様子のおじいさんも表情をくずして、にこやかに、

「おうおう…、こん上にな、昔あったんじゃ。いまは誰も行かんから藪じゃろう。」
「とにかく行ってみりゃ分かる。ヌキん手前は竹やぶになっちょるじゃろう。」

おじいさんから大体の場所は聞き出した。
「ヌキ」とはおそらく「貫き」、すなわち「トンネル」のことだろう。

丁重にお礼を言い、みんなのところに戻る。
もちろん、「じゃ、ちょっとすみません。山入らせてもらっていいですか?」と
一言お断りを入れておくことで話はいっそうスムーズになる。多分。


目的地は写真中央やや右の、尾根がへこんだあたりだ。

おじいさんに聞いたとおりのルートで我々は入山を開始。





普通の畑に見えるが、良く見ると踏み跡が山のほうに登っている。
割と歩きやすく、このレベルならそう苦にはならない。

我々はとりあえずその道をを忠実にトレースした。




はずだった…


おじいさんの言に、なんの偽りも無かった。



畑エリアを抜ければ、あとはもう竹がやりたい放題。
フリーダムに生い茂っている。



前のほうを歩く先発隊からも
「おーい、こっち道がないぞ〜」と声がする。
姿は見えない。


こういうときに、廃道というかとりあえず隧道方向を目指すコツがある。

昔の隧道はとりあえず距離を短くするために、尾根の鞍部(あんぶ)といって
少しへこんだところに掘ることが多い。
そして鞍部の両側は谷地形だ。

つまり谷地形の底を探し出し、そこから直登すればいいのだ。

よって隧道を探そうと思うなら、進む方向は…


↓こっちだ!(ビシッ)



…。

ちょっと…
入山5分で既に進退窮まっている。なんじゃここは。

とりあえず笹を掻き分け先に進む。

いつかの男性の声を思い出す。
「入り口が崩れて(以下略)」

これでホントにそうなってたら精神的損失がでかいと思われる。


みんなもワサワサと上ってくる。
すみませんねえ、一発目からこんな物件で。


と、



石垣発見!

そして1段上に上がると、



道!?

そこにはフリーダム笹地獄は無く、平場が連なっていた。
これがかつての道なのか?



上方向は谷も緩やかになり斜面が広がる。尾根は近い。

そして僕はその斜面に何か人工物っぽいものを見つけた。

早速上ってみると、


排水路の残骸だった。

ってこたあ、道あるな。ここに。

なにやらテンションがあがってきて、6人を引き連れていることなど忘れて
ひたすら斜面を駆け上がった。

添乗員が真っ先に観光地に突入してどうする。


そして僕は息を切らして立ち止まったあと、振り返って叫んだ。








「あったーーーーーーー!!」




果たして→


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2009.5.24


最後の隧道 その2
最後の隧道 その2
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