特設ステージNo.7
薩摩街道 三太郎峠 「廃道をゆく2」への道

薩摩街道三太郎峠 赤松太郎峠の2

■現道を行く■

さて、オマケというにはちょっと濃い道を走ってきたが、
また八代側の二見地区に戻ってきた。

こういうとき高速道路の無料化実験はありがたい(笑)

(いったん峠の向こうの田浦ICから日奈久ICまで戻ってきました)

※8/13追記:よく考えたら日奈久ICから南は常時無料区間でした(国直轄のため)


さて、先ほどの国道3号。ここから右に入れば前ページの「険道」である。

ここで曲がらずに現道をそのまま進む。


峠のある赤松地区から流れてくる二見川によって削られた谷を
薩摩街道は通っている。

谷はここだけで、抜ければまた平野部、赤松峠のある二見赤松町だ。


そして谷を抜けたらいきなり、



江戸時代の道を探している僕を巨大かつ近代的な高架橋が出迎える。
これが先ほどから述べている「南九州西回り自動車道」である。

※この道路は「国道3号バイパス」扱いであり、日奈久ICから南は国が
直轄管理するため、基本的に通行料無料である。
(八代ジャンクション〜日奈久IC間はネクスコ西日本管理で有料区間。無料化実験はこの区間)

ここには江戸・明治・昭和・平成の4世代の道が集まっている。



二見赤松地区をまっすぐと南下すると赤松太郎峠はすぐそこに迫ってくる。
ちなみに先ほどの自動車道のおかげで。九州の大動脈でありながら
車の通りは少ない




だんだんと峠道っぽくなってくるが、グニャグニャのカーブ大会ではない。

そういうのは明治国道でこりているので、
現道は極力直線主体で、カーブも緩い。



赤松太郎峠

ちなみに現国道は昭和40年に八代から三太郎峠を抜けた水俣市までが開通している。
建設当時「新三太郎国道」とまで言われたくらいなんで、いかに特別な道路だったかがわかる。

ま、上の地図の青い線見ればわかるでしょ?


ちなみに全ルートの建設費は当時のお金で53億円かかったそうです。
ここ最近定年退職した人が周りにいたらその人に初任給を聞いてみよう!

そして峠には同じく昭和40年に竣工した、


赤松トンネル
あかまつとんねる 国道3号
熊本県葦北郡芦北町
竣工 1965年(昭和40年) 延長 680m
(↑なんか久しぶりに使うなあこの表)

ちなみにトンネルの手前に行政境があり、ここは八代市ではなく
既に葦北郡芦北町である。
なんで同じ「あしきた」なのに郡と町で字が違うのかは謎である。

赤松太郎峠初のトンネルである。(明治国道には無かった→後述)


この国道の開通により当時車で2時間半かかっていた八代−水俣間が
1時間半まで短縮され、その結果大手の運輸会社が県南地区に進出してきたとのこと。



■明治国道ラリー■

じゃ、次はグニャグニャ道いきましょうか。

明治国道である。


入り口はここ。さっきの現国道でものっけた写真の中央だ。
ここから右折する。


ま、国道としての現役は引退しても、こうやって整備はされてて
地元密着型の市道として活躍してんだけどね。

と、普通に走ってたら気がつかないが、
上の写真のガードレール。

これ橋です。

ま、そんなことくらいは気がつくかもしれませんが、












アーチ式の石橋です。

こんなのがさらっとあるから困る。


重要文化財クラスの土木建造物に現代式のガードレール打ち付けて、
あまつさえアスファルト舗装してある。

ま、「川を渡る」のが本来の目的なんで、文句言う筋合いは全くないが。



橋のたもとに記念碑があった。
これがあったから気がついたんだけどね。
「大平(たいへい)眼鏡橋」っていうらしいっすよ。



「この橋は明治三十八年、大牟田(福岡県)の実業家〜云々…」

と書いてあるが、後に大牟田市議、県議を歴任することになるこの実業家氏が
23歳の時にこの橋を建造したそうな。

なんで福岡の実業家が熊本の外れ(失礼)までやってきて、
お金を出して橋を架けたのだろう。しかも23歳で実業家って…

その辺のことはあまり詳しく書かれていない。


ちなみに自分が23歳のときのことを思い出してみるが、
大多数の方がそうであったように「ここに橋を架けよう」などといった
壮大な思考能力は全くもって持ち合わせていなかった。


さて、アレから10年、実業家にはなっていないが
少しはサラリーマンとして成長しているはずだ。とりあえず先を急ぐ。

道は現国道3号とは谷を挟んで反対側の山肌を登っていく。

現国道3号は写真右方向のカーブを曲がって赤松トンネルを目指す。


で、赤松太郎峠明治国道区間。



概ねこんな感じです。


常にハンドルはどちらかに切った状態です。



ちなみにすぐに分かりますが、なぜか大型ダンプがよく通るので怖いです。


ま、「廃道」ではありません。




■明治国道沿革を少し■

当時、ようやく国道の整備話が回ってきたこの地方。
あとで紹介するが山の中の「江戸時代」の街道では既に物流が困難な時代だ。
それはみんな大歓迎だっただろう。

ところが当局が計画していたルートには二通りがあった。

ルート案その1

八代→二見→(赤松太郎)→田浦→(佐敷太郎)→佐敷→湯浦→(津奈木太郎)→水俣

言うまでも無く我等が三太郎峠ルートである。

これまで江戸時代の街道をだましだまし使ってきた地元も
国の事業として「道路」が出来るんで大喜びだバンザイ。


ルート案その2

八代→(球磨川沿い)→百済木→吉尾→大野→湯浦→(津奈木太郎)→水俣

こうされると、完全に三太郎地区、特に二見〜佐敷の赤松太郎・佐敷太郎峠はスルーである。
そのかわり日本三大急流に数えられる球磨川沿いの険しい峡谷に住んでいた人たちは
国の事業として「道路」が出来るんで大喜びだバンザイ。

さらに事業主としてはメリットもあった。

第2案でいく場合、トンネルを掘らなくていいのだ。
これは工費を考えたときに大きい。




結局明治27年4月には、「検討の結果、工費が数十万円安いから」って理由で
第2案が国道計画ルートとして決定してしまう。

三太郎峠の人たちがっかりである。

ところが2年後の明治29年。事態はにわかに動き始める。

北から延びてきた鉄道が八代まで開通したのだ。

さて、これから先、鹿児島までどのルートで行くか。が問題となった。

このとき鉄道側(九州鉄道:当時。明治40年国有化)は、
「海側に線路があるのは軍事的に見ても不安」との主張で、
水俣から鹿児島県川内(せんだい)を通るルートを選ばずに、上図の第2案
すなわち球磨川に沿って人吉に抜けて、そこから内陸を通り
鹿児島へ達するルートを選んだ。

これが前ページでちょこっと触れた「初代:鹿児島本線,、現)肥薩線」である。
















さあ、アツくなってきましたよ!






三太郎峠周辺の方々 「鉄道も道路もそっちかい!」


となるのは明白(笑)


結局当局側もいろいろと考えただろうが、
「国道と鉄道が同ルートであるのはリスクがある」
との見解から、「鉄道は九州鉄道の案どおり、国道は第1案でいく。」

と決定した。三太郎峠復活でバンザイ。


そして当局はもう一つ付け加えた。

「ただし、」








「第1案を推進した日奈久、二見、田浦、佐敷の4村は、
工費を1万円(当時)ずつ負担すること



いつの時代も「国対地方」はこんなカンジなのである。






そんなこんなで決定した明治国道計画。

順次南側から(津奈木太郎側から)工事が進み、赤松太郎峠も明治37年には
大規模な掘り下げ工事が行われ、明治41年ついに三太郎峠を新国道が縦貫した。

当時「三七号国道」と呼ばれた国道である。



追記:隧道工事が無いから安くなるといわれた球磨川沿いルート。
結局鉄道は隧道バカスカ掘ったんだけどね(^_^;)



■赤松太郎峠■

さて、明治国道グニャグニャラリーも、眼前にあわられる採石場でクライマックス。






この大きな切り通しが赤松太郎峠である。

石灰石その他の鉱物資源が赤松太郎峠周辺に分布するため、
周囲は採石場となっている。これがダンプが多く通る理由。



先に言えば他の2つの峠(佐敷太郎、津奈木太郎)は、立派な「隧道」が
掘られているのだが、赤松太郎だけは切り通しである。

実は国道に先立つこと20余年、明治14年にはもともとここにあった
街道を掘り下げる工事が行われている。

但しそのときはそれでも「車両」が通れるようなものではなかったらしく、
国道工事でやっとここまで掘り下げて車を通したという。




切り通しを抜ければ遥か彼方に町が見える。

一緒に1万円負担した「田浦村(現芦北町田浦)」である。





写真中央に見えるのが先ほどの南九州西回り自動車道「田浦IC」だ。
手前の二見から「新赤松トンネル(延長2140m)」を抜けてあそこに達している。

明治国道もあそこまで下りていく。写真右側の山肌を行くのだが…





やっぱり直線がない。






まあ苦労したと思うよ。
100年以上前にこれだけの工事したんだから。




しかも石灰石ってめちゃくちゃ固い岩盤だし。
人力とダイナマイトしなかい時代に。












だいたいいつもそうだが、メイン以外の写真を撮り忘れるヤツが約1名。

すでに現国道3号合流地点です(先の交差点)






田浦ICの脇にある道の駅「たのうら」から三太郎峠を振り返る(写真中央)。



さて、










江戸道探しに行くか…







それらしいモノ見てないけど→





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2010.8.1


薩摩街道三太郎峠 赤松太郎峠3
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