特設ステージNo.7
薩摩街道 三太郎峠 「廃道をゆく2」への道

薩摩街道三太郎峠 赤松太郎峠の3

■単なるこっちの勘違い■

さて、三たび八代側の二見地区に戻ってきた。

三度目の景色


いよいよ江戸街道を探すことにする。

で、僕は実は江戸街道の書かれた地図を持っていなかった。

というのも取り寄せた地形図6図幅(すべて明治の初版)を眺めていたとき、
後述する佐敷太郎峠、津奈木太郎峠に隧道が描かれていたのである。

ということはここに書かれている「道」は明治国道である。


そう思い込んでいたので、初回踏査時に地図を持たずに来てしまったのだ。
このときの僕の赤松太郎峠に関する思い込みは以下の通りである。

1.江戸道の地図はない。
2.江戸道はほとんど明治国道に飲み込まれている。
3.残っているのは峠を越えた南の田浦側の谷筋のみ。

なんでこんな風に思い込んだのか未だに分からない。

じゃあ見ていただきましょう。明治34年測量の地形図です。



明治34年測量 大日本帝国陸地測量部発行五万分の一地形図「日奈久」

下のほうが赤松太郎峠である。
で、僕が「廃道をゆく2」発売後に気がついたのが以下である。


1.峠までの道がグニャグニャしていない



あれ?運転手すら車酔いする道はドコにいった?


2.やたらと橋がある



たしか明治国道で見た橋は前ページの「大平眼鏡橋」含めて2つだった…

まあ、皆さん気がついているでしょう。
この地形図は明治34年測量。



で、



前ページで

「赤松太郎峠も明治37年には大規模な掘り下げ工事が行われ、明治41年ついに新国道が縦貫した。」

と書いたのは誰だ!


どうやら僕は「江戸街道」(か、それに準ずる明治の道路)の地図を持っていたようです。

じゃあ、これ持ってもう一回行ってきます…

※佐敷太郎峠と津奈木太郎峠の隧道は明治36年までに開通しており、
地形図の発行に間に合っていたようです。



■石橋の道■


国土地理院発行2万5千分の1地形図「田浦」

とりあえず上図が今回踏査した赤松太郎峠北側の全域である。
サイズが小さくて分からないが、明治地図に載ってた道も
現在の地図に残っている(緑線)。但し「一本線」もしくは「点線」で。
そして赤丸が橋があった地点だ。確かに橋のマークがある。

ここにとりあえず橋が残っているのなら、それは「薩摩街道の遺構」ってことでいいだろう。



では北側、八代方面から江戸街道の遺構を探しに行こう。

(暑いから少し気温を下げただけの話だ)

■第一の橋■



ここは二見赤松地区に入ってすぐの現国道の橋である。

この橋は形は違えど江戸街道時代からあったことが地図からも分かる。
なにか名残と思われるものがないかなとあちこち探していたら、
ちょっと下流側の田んぼの脇になにか白い標柱が見えた。

近づいてみると、


「史跡 君ヶ渕眼鏡橋」

と書いてある。

ここにあったのは「眼鏡橋」。つまりアーチ式の石橋だ。
で、このあたりが「君ヶ渕」と呼ばれていたのだろう。同名のバス停も近くにある。


但し名残らしきものは何もない。
橋台(橋のたもとの基礎ね)くらい残ってないかと探したが
この標柱の周辺には何もなかった。

完全に消失しているのか、現在の橋があるところにあったのか。

今の橋のトコにあったんなら、なんで離れたところに案内標柱立てるのかって話だが…
ちなみに今の橋は「君ヶ渕」の名を冠していない。


無いんだけどとりあえずメモる。

■第二の橋■

さて、次の橋に向って進もうとしたが、現在の地形図を見てみると、



どうもこの区間は区画整備されて田んぼになっているようだ。



しょうがないので自動車道の高架下にある側道を進む。

と、先のほうに橋が見えてきた。



江戸時代にこれが作られたのであればそれはすごいことだが、
歴史考証を全国的にやり直す必要がある。
どうやら後世になって、というか完全に最近架け替えられていたようだ。

あとで調べたら、前述の君ヶ渕と「堂園」という場所に石橋があったそうだ。
ここがそうなんだろうか。


面白くないなあと思うが、地元の方々にすればBIGなお世話だ。
現在も農道として活躍中であった。


いらないだろうけどメモる。





道はこのまま舗装されている状態で赤松太郎峠に向っている。

なんか江戸時代の街道を進んでいる気が全くしないのは気のせいか。



■第三の橋■




道は完全に生活道の体をなしており、車もけっこう通る。
遥か彼方に見えるのが赤松太郎峠だが、終始こんな感じなのだろうか…


※ここから画質が一変します。デジカメの電池が切れたんで携帯で撮った写真に…




アスファルト道はいつの間にか現国道のほうへそれて行き、地形図どおりに進めば
コンクリート舗装になってきた。但しこちらも現役バリバリである。




田んぼの中を進んでいると向こうのほうにいいものが見えてきた!

写真中央、なにかこんもりとしているのは…



石橋!

アーチ式の見事な石橋だが、上部はコンクリート舗装されている。
もちろん現役で車も通る。物持ちがいいとかそういうレベルではない。

1トンを越す鉄の塊がこの上を通っても大丈夫というのがすごい。
通ろうと思ったのもまたすごい。



薩摩街道 新免眼鏡橋
長さ14.4m 幅3.8m 高さ4.6m
竣工 嘉永六年!(1853年)

やっと会えたぜ薩摩街道の遺構。



初めてまともな石橋が出てきた記念メモ。



■なぜ石橋か■

実は熊本県というのは石橋が非常に多い。
それは良い石材がたくさん取れるのと、江戸末期に現八代市を根拠地に活躍した
「種山石工」と呼ばれる集団の存在が大きい。

詳しくは省きますが、ボールド(太字)で書いてある単語を検索してみてください。
(時間かかるんで人任せにできるトコはしとこうという開き直りだ)

当時長崎の出島で密かにオランダ人技士から「アーチ式石橋」の技術を学んだ武士、
藤原林七は「勝手に外国人と接触してはいけない」との禁を破ったため、肥後の国まで
逃れてきて、そこで石工の集団を作り上げた。それが「種山石工」である。
そこから肥後の国を中心とした九州のアーチ橋(眼鏡橋)建設ラッシュが始まる。


通潤橋(熊本県山都町)

林七の孫に当たる丈八はかの有名な「通潤橋」の建設では兄卯一に次いで副棟梁をつとめ、
その後功績が認められ藩より苗字帯刀が認められて橋本勘五郎と改名。
その後明治政府から直々に呼びだされ、東京府にて架橋事業の指揮を執ることになった。

主なものとして

万世橋(秋葉原から神田方面に歩いたらあるよね)
※但し現在の橋は昭和5年製で、旧橋は撤去されている

日本橋(説明不要)

江戸橋(  〃  ) 
※これも明治34年に鉄橋に架け替え

宮城二重橋(皇居にあるあの橋です)

などがある。みんな有名なものばかりだ。


日本橋(東京都中央区)     なぜかTEC撮影
これも現在の橋は明治44年に架け替えられた第19代で、勘五郎が架けた橋はその先代。
ってか、なんでそんなに19回も架け替えられてんだって思ったら、
火事となんとかは江戸の花ってことらしい。木の橋に懲りたんだな(笑)



下鶴眼鏡橋(熊本県御船町)勘五郎と息子の弥熊によって明治19年竣工


ちなみにここで紹介している赤松太郎峠江戸街道にかかる石橋はすべて
藤原林七の娘婿である岩永三五郎によるものである。


とりあえずすごい人たちなんである。



■第四の橋■


さて、新免眼鏡橋を過ぎると道は現在の国道(写真左)と合流する。

その直前に左折すればまた国道から離れた集落へと向うのだが…


この橋はダミー。江戸街道ではない。

ってか人が使ってる橋をダミーは無いわな。すみません。


本来の江戸街道はこの田んぼの端を通って
向こうに見える集落へといったん登っているようだ。
但し現在は道が無い。ヤブです。



この橋もダm(自重)。これを渡って江戸街道へ戻る。



なんか遠回りしてしまった。
多分現国道によって埋められている箇所もあるかもしれない。




さて、江戸街道(ホント実感がわかないが)を進むと川があるようだ。

で、川があるなら



橋があるのは道理。



薩摩街道 赤松第一号眼鏡橋
これも見事なアーチだ。

僕は古い道好きではあるが、主に隧道人間であり、
いわゆる「石橋があればおかずはいらない」の人ではない。

でも、こんだけ歴史的価値があるものが連続すると、やっぱ記録には残しときたいよね。



長さ12.3m 幅3.8m 高さ4.7m
竣工 嘉永五年(1852年)

同じ岩永三五郎の作であるので、新免眼鏡橋とスペックは長さ以外ほぼ同じだ。



だんだん峠に近くなってきたぞ。



■第五の橋■



ここからいったん江戸街道は川を離れ、緩やかな尾根を越えるルートを取る。
川沿いは平場が少なく危ないからだろう。


で、尾根を下るが、ここでスピードを出しすぎると見落とす。




この看板を。

ここにも橋があるんだが、明治地形図にも載っていない。

なぜか?





ちっちゃいからだろう。



薩摩街道 大平眼鏡橋
しかしあなどる無かれ、しっかりとした石橋だ。

長さ4.1m 幅2.5m 高さ3.7m
竣工 嘉永五年(1852年)

ちなみに前ページで紹介した明治国道の石橋も「大平眼鏡橋」だったし、近くにある。
同じ地名だからそうなるんだろうけど、とりあえずこっちを大平眼鏡橋(江戸)とでもしておこう。

この先登場はしないけど…


いい感じで石橋紹介サイトになってきたぞ。



街道はいつの間にかアスファルト舗装に変わって、川沿いを通っているが、
すぐにまた分岐して尾根越えルートに変わる。


しかもけっこうな急坂だ。

もうちょっと緩いトコ選んで道作ってくれても良かったんじゃない?


ってか、今日の僕は


















自転車で回ってるんですけど…







貧脚ゥ〜貧脚ゥ〜 URYYY!!

唐突なJOJOネタを入れつつ
石橋街道は続きます→






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2010.8.16


薩摩街道三太郎峠 赤松太郎峠4
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