特設ステージNo.7
薩摩街道 三太郎峠 「廃道をゆく2」への道

薩摩街道三太郎峠 赤松太郎峠の1


ということで2010年1月、三太郎峠にやってきた。

僕は実は仕事でこのあたりの道路はよく通るので、
現道および明治道については既に通ったことはあるわけで、
結構ピクニック感覚でやって来ていた。

まあ、そんなお気楽気分は峠を越すごとにコテンパンにされていく訳だが。

とりあえず、北の赤松太郎峠から順次紹介していこう。



赤松太郎峠


で、ここでちょっと見落としが発覚したんで更新止めて、
再調査してまいりました。


ホント読者さんが離れていくよこんなんじゃ…






では久しぶりに更新しますかね。

以下、このページの写真は平成22年7月21日のものです。
全国的に猛暑の日でしたね。



■いきなりオマケ■

いきなりアホかとツッコミ覚悟である。
ちょっと本編入る前に見てもらおうかなあって思って。
映画でもホラ、本編前に10分くらい別映画の宣伝やってるよね。


前ページで「地形が厳しいから」と散々書き倒したが、
本当にこのあたりはわざわざ山を越さねばならないのか?
目の前海である。こっち通ればいいだろみんな。

結論から言うと「海側にも道はある。」

↓地図をご覧下さい。



北の八代市日奈久温泉から南下し、南九州西回り自動車道日奈久ICを過ぎたあたりが
前ページで言った「海が突き出してくる」ゾーンである。

そして肥薩おれんじ鉄道と併走していた国道3号、つまり薩摩街道は
肥後二見駅のあたりから、山側に進路を変える。
これは別に山越えではなく、二見川が削った谷に沿って進路を変えるので
急な山道とかではない。

では肥後二見駅からそのまま「海側ルート」に行って見よう。



無理やりにでも三太郎峠が整備された理由が分かる。





■なんとかしろよ熊本県■

さて、平成22年7月現在、南九州西回り自動車道は例の「無料化実験」中なので
普段ケチケチドライビングを実践する僕も快適にここまでやってきた。



日奈久ICで下りて国道3号を走るが、海側には第三セクター肥薩おれんじ鉄道が走る。
八代−鹿児島間で九州新幹線が先行開通したあおりを受けてJRから(むりやり)移管された路線であり、
そういう路線の例に漏れず現在経営がちょっとアレである。

ちなみに線路の横は堤防。

つまり向こう側は八代海である。


国道はここから緩やかに左に曲がり、山間部に入っていく。


では引き続き海側を走る道はどうなっているのだろう。

国道から右折すると、





コレである。

狭い。

軽自動車でも離合は不可能なため、向こうから車が来ると
出来るだけ広い場所、それが民家の敷地であろうと車を寄せて
やり過ごさなければいけない。
自然に譲り合いの精神が生まれるという、人に優しく車に厳しい道だ。

で、この道の正式名称はというと、




「熊本県道254号二見田浦線」





ちょっと熊本県庁に文句言ってくる。

そう思う人もかなりいると思うぞ?



なんとか出来ないのかこの道は。

と思うが、ごらんのように山側は急傾斜、海側は線路があるため、
埋め立てての拡幅工事が出来ないのである。これはキツイ。

ちなみに明治時代の地形図にも道は描かれているが、
残念ながら当然のように「車道ではない。」

明治34年測量 大日本帝国陸地測量部発行五万分の一地形図「日奈久」






場所によっては踏み切りによって県道が海側に来る場所もある。
「うおっちず」を見てると、線路にそって何度もクロスする道が確認できる。

先に言っとくけど、この踏み切りも激狭なので気をつけて。


慎重な運転を続け、井牟田地区までやってくると、やや開けて道も広くなるが、
抜けるような青空に黄色い看板が現れる。




「コレより先幅1.4m以上の車両は通行不可」

ここで読者の方はちょっと自分の車に行って
車検証を確認してみてください。

ちなみに僕が今乗ってる「ホンダ ザッツ」は新規格軽自動車であり、その全幅は

「1,475mm」

75mmオーバーしているようだ。



いったいこの道はどうなってしまうのだ。

車から下りて上の写真を撮っていたら、近くにいたおじさんに声をかけられた。

「どこまで行きなさるな?」

「いや、どこまでっていうか、これ田ノ浦(赤松太郎峠の向こうの地区)まで行けます?」

「兄ちゃんの車は軽?なら行ける。」

頼もしいのか心配なのか分からないお言葉を頂く。

このあと「ちょっと手伝ってくれんね」と、軽トラックに荷物を積む手伝いを頼まれた。
サングラスかけてても「人のよさそうな兄ちゃん」に見えるのだろうか僕は。




で、その「幅員狭小」の道はというと、


↑こんな感じである。

写真だとよく分からないだろうと思う。

丁度、軽のワンボックスが一台通っていったので参考にさせていただこう。



「…。」
























今日はいい天気だなあ。


見ろよこの空の青さ。



手前が天草。向こうのほうに見える山は長崎の雲仙普賢岳だ。





我にかえって車に乗り込み、75mmに挑戦を開始。





僕はあんまりこの言葉って使うこと無いんだけど、


「険道」だよな。この道。

見た感じ、この険道も隣の鉄道も、どうやら埋め立てて作られているようなフシがある。

まあ普通に地形考えりゃ、ここはもともと「磯」に間違いない。

江戸時代にここに街道が作れたか?って話だ。

肥薩おれんじ鉄道の前身、国鉄肥薩線(※)が
八代−佐敷間の開通を見たのが大正14年(1925年)4月。

当時主要な輸送手段は、もちろん自動車よりも鉄道であり、
険しい地形の、それでも条件のいい箇所は鉄道に持っていかれたのだろう。
それでも部分的に鉄道はトンネルを使ってこの区間を走っている。険しい。


(※)「肥薩線」は現在、八代から内陸の人吉を経由して鹿児島に向う内陸ルートであるが、
海側に先行して開通していたため当時は「鹿児島本線」と呼ばれていた。
1927年に海側ルートが全通するまでは肥薩線は海側ルートの名称だった。
その後名称交換で海側が「鹿児島本線」となった。



表示された1.4mには若干の安全率を見込んでいたようだ。
堤防からこぶし一つ分くらいは余裕がある。

軽トラのおじさんが言っていた。
「こん先、2回クランクになっちょって、踏切がある。」

この狭い幅員のまま踏み切りとか嫌過ぎる。

ちなみにおじさんが記憶しているだけで、過去4名の方が
ここで列車事故で亡くなっているという。
踏切が無かったころのお話。



踏み切りっていうか、分かれ道の無い道路ではあまり見ない標識があった。
「(二輪・軽小特を除く)」

ちなみにここまでで、けっこう嫌な汗をかいている。



ちゃんと踏み切りも「狭小」を遵守

あと、脱輪防止のための駒止めが線路脇にあるんだけど、
はっきり言えば邪魔。

内輪差で巻き込むこと必至という感じで設置されているので、
右に曲がる前にいったん左にハンドルを切る、いわゆる「逆振り」を
実践しなければならないという、テクニカルな踏み切りだ。




怖いなあと思いながらも通過し、海側の道に曲がるため左折中。






「メキャ!」

「ガキバキ!」

「ギャギギー!」






ほんと何とかしてくれよ熊本県。



サイドステップが外れただけで済んだから良かったけどさあ。





ていうか、オレ三太郎峠の踏査に来てるのに何やってんの?


オマケの寄り道も度が過ぎる上にオマケどころの騒ぎではなくなっている。


しかし、希望の光はこの県道を照らしていた。



目下、絶賛埋め立て中。
拡幅工事の予算がついたのである。

先ほどの軽トラのおじさんが言っていた。

「あと2年…。あと2年じゃ。」



道というものはいつの時代も悲願なのである。







向こうに見える岬を越えれば、芦北町の名勝「御立岬(おたちみさき)」であるが、
海側ルートのこの県道、ここで海側ルートであることをあきらめます。


ここから左側にある山を越えて芦北町へ。

やっぱ山越えるのがいいんだよこのあたりは。






そんなオマケでした。














向こうのほうにいいものが見えたけど、
残念ながらアレは鉄道用です。









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2010.7.23


薩摩街道三太郎峠 赤松太郎峠2
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