主要地方道 森耶馬渓線(県道28号線)
ちなみにここは鹿倉峠。県道森耶馬渓線の最高地点である。
明治時代、時の玖珠郡長村上田長は、玖珠地域から県北の中津の港への
物流ルートを計画。これまで街道もなかったこの地に新たな道を計画した。
しかし、工事は難航を極め、さらに当時既にあった中津への別ルートを
改修したほうが良いとする反対派に阻まれ、工事資金は枯渇。
さらに議会により村上は罷免され、新道建設は絶望かと思われた。
別ルートは勾配が急で、改修したとしてもとても物流に耐えられるものではない。
そんな中、工事は後任の菊村徳により郡直轄事業として
継続されることになり、明治24年ついに完成した。
完成した道路は「中津港道路」「耶馬溪道路」と呼ばれ主要街道として活躍。
戦後、主要地方道に指定され、鹿倉隧道も昭和48年まで共用された。
このレポートを書いている今、道路特定財源とか何とかの議論が日本中を席巻している。
土木業界にいながらこんなこと言うのはなんだが、無駄な道路は確かに要らないと思う。
しかし明治時代、確かに必要な道路が、今以上の困難をもって建設されていた。
そしてそれが地域の発展に寄与したのは事実である。
私財を削ってでも地域のために道路を通そうと奔走した村上の功績をたたえる
石碑が、今回待ち合わせに使ったドライブインの脇に建てられている。
参考文献:玖珠郡史,九州の峠(葦書房)
置いていた熊本県立図書館グッジョブ!
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