国東半島巡り 香々地町7
第一循環隧道
案外香々地町もトンネル多いんだよなあ…
ってなことで、香々地町沿岸部は制覇したので、山の中にきました。
ご存知のように(?)国東半島中央部は両子山をはじめとした
火山群で形成されておりまして、中央に行くほど、
とんでもない景色が待っていたりします。
ここは香々地町夷(えびす)。この光景は俗に「夷耶馬」と呼ばれます。
で、そんなとんでもない山の中にも人が住み、往来も必要だったわけで
古くから山越えの道が作られてきた。でもそれは道と呼ぶには
あまりにきついものであったことは上の写真からも想像できよう。
それでも海岸部の沿岸道路(明治開通)だけではズルイってことで
昭和に入り、山間部でも道路の整備・改修が進む。
そして山を越える最終兵器も。
国土地理院発行 現在の2万5千分の1地形図 「香々地」
旧制香々地町上香々地地区から西の小畑地区に抜けるための山道は
明治時代には既に存在したが、「道路」としての整備・開通は
昭和32年まで待たねばならなかった。
道は夷地区の少し下流側から尾根を目指す。
尾根とはいえ険しい山間部。小さな谷が多く、道はぐにゃぐにゃ×2。
すると薄暗い中に隧道が見えてくる。
言っておくが、晴れた日にここを訪れて、さらに写真は画像処理で
ある程度明るくしているのである。それでもこの雰囲気。
第一循環隧道 夷側(東側)坑口
だいいちじゅんかんずいどう |
県道夷堅来線 |
大分県豊後高田市上香々地(旧制香々地町) |
竣工 |
1957年(昭和32年) |
延長 |
111m |
昭和時代に作られた隧道としてはちょっとアレだが、
この道路が開通した時はまだ「町道」。
これが県道「夷堅来線」に昇格するのは昭和48年。
したがって整理番号も「708号線」とかなり後の方だ。
もちろんこの時代にはコンクリート巻きトンネル工法もある程度
完成されているはずだが、こんな片田舎の山道の町道では
僕が町長でもそんな予算は承認しないと思う。
でも電気くらいつけてくれとは注文すると思う。
第一循環隧道 小畑側(西側)坑口
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2008.10.13
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