特設ステージNo.4
初代竹田津隧道
初代竹田津隧道から探検隊現る その4
■地上人とのコンタクト■
全長360m。
不気味な暗闇と水たまりを突破してきた探検隊。
久しぶりに地上の空気を吸う。
香々地側はかなり切り立った掘割りになっていた。
この角度はヤバイ。
現在こんな勾配の切通しを設計したら地質状況によっては
設計図を叩き返されると思われる。
しかし、重機も無い明治時代。
この土工量(どこうりょう)はハンパではなかっただろう。
全体に苔むして、なかなか日もあたらないため薄暗い。
初代竹田津隧道 香々地側坑口
う〜ん、現役ではないことを差し引いても、コレが国道ってのは…
山歩いてて、こんな光景に出くわしたら、
一般の人たちはどう思うんだろう。
僕ひとりなら逃げるけど。
10年前、地図で見ただけでノコノコやって来ていたら
そのまま180度ターンで帰っていただろう。
と、進む先の道に二人連れの年配の男性と女性がいるのに気が付いた。
山菜取りにでも来ているのだろうか。
お二人はこちらを怪訝そうに伺っている。
まあ無理も無い。
タダの洞窟にしか見えない穴から二人の男が現れて、
なにやら話したり写真を撮ったりしているのだ。
地底人としか思えない。
そんな地底人のTの方がコンタクトを試みる。
て「こんにちわ〜」
女性は「え〜、向こうから来たの?」と驚いておられた。
て「ええ、竹田津のほうからちょっとw」
お二人は相手が日本語を理解できると悟ると、
いろいろと話を聞かせてくれた。
女性も実は山を散策する際はここを歩いて通れると便利なのだが、
さすがに気が引けるということだった。一般人の意見だ。
男性は「大きな石があったやろう」と聞いてきた。
↑これのことかな?
「アレを見たら、ちょっと入ろうとは思わんなあ。」
ええ、僕らも個人的にはそう思ってます。
男性「それでもなあ、むかしゃここが国道でバスが通りよった。」
「戦争んときは竹田津に下りよったバスが戦闘機に機銃掃射されてのう。」
こんな狭い洞窟をやっとこさ抜けてきた民間のバスを攻撃するとは
なかなかアメリカさんもひどいことをする。
ちなみに戦時中は国見町にあった主要な港(竹田津、伊美、熊毛)は
全て空襲を受けており、うちのおばあさんも家を焼かれている。
終戦の3日前に。
なかなかアメリカさんもいろんな意味でひどいことをする。
女性「ちょうどここが峠の茶屋みたいなとこやったんよ。」
見ればお二人の後ろに建物が見えるが、現在は廃屋だ。
なほど、ここは香々地の町からも竹田津の町からも
尾根をひたすら登ってきた地点だ。
沿岸道路を行きかう人々はここで荷をおろし、少しばかりの休息をとった後、
隧道を通って竹田津の町へと向かったのだろう。
とても歴史を感じさせる道だ。
お二人は「古いトンネルを調べるのが趣味」という我々が
とても珍しかったのだろう、楽しげにお話を聞かせてくれた。
そして、
て、チ「じゃ、失礼しま〜す。」
我々二人は笑顔で地底へと再び戻っていったのだった。
初代竹田津隧道、往復して完了!
…。
←特設ステージTOPへ
2008.8.27
|