特設ステージNo.5
旧椿隧道

旧椿隧道発見記 外伝
■当時の椿隧道周辺のこと■

さて、このシリーズをアップした後、しばらくたって
ある読者様からメールを頂いた。

北九州市在住というEtou氏は、
「幼少の頃に、地図で椿峠に謎のトンネルを見た気がした」
とのことで長いこと思い悩み(?)その隧道を探しておられたようで、
私のこのサイトで疑問が「氷解」したとのこと。

お役に立てて幸いです。

何が人の役に立つか本当にわからなくなってきました(笑)

で、Etou氏はその椿峠周辺の道路の発達史について非常に造詣が深く、
教えた頂いた情報もすばらしいものばかり。

「ぜひ、当サイトで紹介させてください!」と頼むと氏は
「もうちょっといろいろ調べてみたいからちょっと待って」とのことだった。



待ちました。





とんでもないものが届きました。





しかもHTMLで。


彼はこの道路の発展を鉱山産業の発達と絡めて考察されています。
あの…これそのままORJにもって行ったほうがいいのでは?

とも思えるほどの内容。



「あの…Etouさん、これ僕がいじれません…。」
「とりあえず、僕のサイトの容量お貸しますのでここで発表しましょう。」

などと都合のいい提案。

氏より快諾いただいたので…




以下、Etou氏が作ってくれたページをそのまま掲載します。
(※赤文字)は影武者の合いの手です。

いくつか、北九州市立門司図書館で調べた内容を時系列で列記します。
椿、石塚隧道及び、周囲の県道の改修、石灰石鉱山の進展、自動車の推移を解った範囲で・・


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・・・石灰石鉱山開発関係
・・・県道門司行橋線(石塚・椿トンネル)関係
・・・周辺地域の道路整備、交通環境関係
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明治27年、小野田セメントKK.が石灰石山を買収(※KKって言うのは株式会社のことです)
大正10年代、石灰石山のある井ノ浦地区の岸壁工事完成
大正11年、旧椿隧道開通
大正15年、曽根〜大里間に乗合自動車運行
昭和2年2月、下吉志〜門司港間に丸山自動車KK.により乗合自動車運行開始、主要地方道門司苅田線(現在の門司行橋
線) 開通
昭和2年2月、宇部セメントKK.井ノ浦に鉱山開設
昭和2年の門司市の自動車等登録台数
自家用車15、トラック12、ゴミ収集車3、タクシー46、オートバイ50、自転車4981、馬車6、人力車175
(バスは不明、バス事業者は九州電気軌道KK.、門司自動車KK.、丸山自動車KK.他1社の計4社?)
昭和5年4月、恒見自動車KK.、井ノ浦に新設、バス3台で小倉と同地区の間に運行開始
昭和6年、柄杓田へのバス乗入開始
昭和6年、大里〜恒見間の県道改修工事開始、同7年10月鹿喰トンネル開通、8年8月に完成(福岡県の失業対策事業とあ
る)
(※鹿喰(かじき)トンネルについては、これがそのまま改修されて現道になっていますので旧隧道はありません)
昭和8年7月、風師山登山ドライブウェー開通、距離2km幅員6m
(※これが不思議で、風師山は戦前は陸軍に大部分が摂取されており、軍事要塞になっていたと聞いたのですが…
 時代が違うんでしょうか)
昭和9年、小野田・宇部セメント会社同地区にセメント工場設置を決定、同12年竣工
昭和11年1月、門司港東本町〜田ノ浦地区に運行されていた門司築港電車(路面電車)、バスとの競合より廃止
昭和13年12月、県道門司苅田線改修に伴い石塚・新椿隧道開通
昭和14年5月、関門国道トンネル起工(完成は33年)
昭和15年9月、大里〜恒見間に鹿喰トンネル経由のバス運行開始
昭和36年5月、県道大積喜多久線改修幅員5m、喜多久地区に西鉄バス運行開始(バス運行の記載これ以前無し)

参考:
角川書店「地名大辞典・福岡県」
門司市編纂「門司市史」
中山主膳氏「郷土門司の歴史」
著者不詳「松ヶ江村覚書」
(※この時点でEtou氏がタダモノでないことが判明)

・まず石塚、椿隧道付近の地図の比較から



昭和13年発行の「陸地測量部・小倉市」2万5千分の1」より
(※おお!1:25,000があったんですね!これは詳細ですばらしい。)

石塚がなくて椿トンネルがあるので、改修前のですね。
左にある地名が、平山村、昔の門司港〜曽根のメインルートみたいです



昭和57年発行の「小倉」2万5千分の1より

椿トンネルは一本のみ記載。
やっぱりゼンリンに記載してあったものと勘違いしていたのでしょうか・・
(※実はこれ以前にetou氏が送ってくれたゼンリン住宅地図に初代らしき隧道が…ゼンリン調査員は廃道者か?)


・次に石灰石山の付近の地図比較



昭和13年発行の「陸地測量部・小倉市」2万5千分の1より

画面下、井ノ浦地区〜浦中地区の山が既にかなり削られています。
あと見にくいのですが、画面上中央「下吉志」と書かれた辺りで線上の物が
県道を横切っています。
(※ちなみに地図左方向は埋め立てが進み、現在「新門司港」と呼ばれるエリア、
 下吉志と書かれているところのさらに左は現在の九州道吉志サービスエリアがある辺りです)

拡大すると




何か、山から海岸まで伸びています。

今回発行して頂いた、国土地理院の謄本には「凡例」が無いので、参考として似た様な時代の

昭和17年発行、陸地測量部5万分の一「船木(山口県)」の凡例より


すいません、読めませんでした。辞書で調べたら「かきね」。

・・・何か違う気がするので、もう一度見てみますと


この特殊鉄道の一軌のようでした。鉱石を運ぶ為のリフトかベルトコンベヤーかロープウェイでしょうか?
(※おそらくトロッコや軽便のような軌道車ではないでしょうか?コンベアや索道(小型ロープウェイ)では
 このような線形にならないと思います。)


少し話が脱線してしまいました、これが昭和57年発行の「小倉」2万五千分の一より


海岸線に工業地帯が出来て、鉱山は小倉南区にまで達しています。県道門司苅田線のバイパス(4車線化)
は恒見地区止まり、九州自動車道はまだありません。

(※ここまで地図をそろえてもらえると、鉱山の発達史が手に取るようにわかりますね。スゲェ…)


・最後に石塚・椿隧道が無い頃、その付近の峠越えの事ですが・・



 国土地理院、2万五千分の1、小倉〜白野江付近より

この峠を越えていたらしいです。(※右下端っこが椿隧道)

「門司市史」(昭和8年発行)の付録か、写真文献の本に昭和2年発行の、門司の略図があり、
それには、椿・石塚両峠記載されてなく、こちらを県道としてありました。(※えっ?)
(禁帯出でコピーも時間の都合で出来ませんでした・・)


で、図書館に他の本を返却するついでに、昨日(平成21年5月16日)現状を見てきました。

ちょっと隧道から話がそれますが、お付き合いいただけると幸いです。
(※いや、県道って…わくわくしますけど、T11年完成の初代椿隧道の立場って…)


 やや南の伊川地区、そこから奥田を経由して、門司駅方面へ向かう県道を山手へ。上の地図ですと
下の切れた部分からやや左下を川沿いに行きます。



後ろは九州自動車道



県道には、丸ポストがまだ現役。
自動販売機がほぼこの付近で唯一の、お金を使う所。コンビニもスーパーも
何も無いです。
(※大丈夫です。私の実家は自販機すら山の向こうです)



今から一人で山に向かう身にしてみれば・・



ちょうど田植えの準備中でした。山の中にいる蛙の鳴き声(アオガエル?)がしていました。



平山地区にある庚申塚。多分江戸時代からそのまま。
村に災い(流行病とか)が入るのを防ぐ信仰だったとか。



 峠道への入り口。何か看板が・・



 はいはい・・



 写真では明るく見えるが、いきなりかなり暗い。
路面はかなり昔のアスファルト。人の通った気配はある。



 5分ほどで、峠の頂上。幅2m弱、軽でもギリギリか無理。
(※この構図。過去の隧道を感じさせますが、残念ながら地図には記載なし)

切り通しは思ったより規模がある。粘土質の岩っぽいのを
ノミなので切り開いた感じ。コンクリやレンガは全くなし。
(※地質は椿隧道と同じようですね。)



 黒川側の下りは急で、路肩が弱い。やっぱり車はムリっぽい。

この辺りで腹痛が・・



 突然コンクリで路肩が補修された部分に。ただかなり古い。
平山側と違って、都市高速が近いのか車の音が聞こえ始める。
ただウグイスの方がもっと聞こえる。

トイレ・・紙は持ってるし、人気ないしとかなり考える。
でもそんな格好でイノシシに出会ったら最悪だ・・
(※あえてコメントしませんw)



 黒川近くになるとヘアピンカーブが(右下へ降りていく)
このカーブでスーパーの買い物袋を提げた、おばちゃんに遭遇。
黒川で買い物して平山に帰るらしい・・真似できない・・

あとトイレしなくて良かった・・




 黒川に下りると、いきなり門司インター。雨が降っているのに気づく。
峠道は木が生い茂ってて全く濡れなかったし。




以上です。ご覧頂いて有難うございました。

Etou

以上がEtou氏に頂いた情報である。

すばらしい。このクオリティの道路変遷史は真似できません。
特に椿隧道以前の道がまさか離れた場所にあるとは思いませんでした。

みなさん、暖かい拍手を!

Etouさん本当にありがとうございました。公開が遅れて申し訳ございません。

(2009.10.31公開)

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