特設ステージNo.5
旧椿隧道
旧椿隧道発見記 その1
■世紀末の出来事■
1999年7の月、恐怖の大王は天から降りてこなかった。
核戦争も無く、バイクに乗ったモヒカンが斧を振り回しながら「ヒャッハー」とか
言ってるのを、世紀末救世主が指先ひとつでダウンさせる世界も来なかった。
その代わりにその前の月、1999年6月。
新幹線のトンネルの天井からコンクリートが落ちてきた。
恐怖の大王も核ミサイルも降ってきては困るが、
トンネルからコンクリートが落ちてくるのも、かなり困った事態である。
幸いに人的被害は無かったが、その後土木業界は
蜂の巣をつついたような騒ぎになる。
「とにかく他のトンネルも点検しろ〜!」
新世紀はすぐそこに迫っていて、僕は土木業界の新入社員だった。
■そして21世紀■
新世紀を迎え、すぐのことだったと思う。
ひとつの指令が下った。
「北九州の道路トンネルを点検して来い。」
ミレニアムを迎え、トンネル点検ブームは鉄道だけにとどまらず
道路トンネルにまで波及していた。
「サー!イエッサー!」
机から立ち上がりすぐさま我々は北九州を目指す。
んなわけも無く、とりあえず資料整理だ。
同僚S氏「なんか…20以上あるね…」
北九州もまた隧道大国であった…
我々はコンクリート打診用のハンマー、内壁を照らす投光器、
そして防塵マスクと地図を手に北九州に向かった。
■3つの椿トンネル■
TEC「ふう、ここも完了。疲れた〜。次はどこ?」
我々は順調に点検をこなしていた。
同僚S氏「えっと、次は椿(つばき)トンネルか。門司だわ。」
助手席でS氏はトンネルのリストを指差しながら言った。
これは発注元より提供を受けたリストである。
S氏「あれ?椿トンネルが3つあるけど…」
リストを見ていたS氏がつぶやいた。
て「え?上り下りで新トンネルと旧トンネルの2つでしょ?」
椿トンネルは北九州を走る県道25号門司行橋線にあるトンネル。
元来1本のトンネルだったが、この道が門司から大分方面に抜ける
下道最短ルートであるため、交通量が増加。
それに対応すべく道路改良により隣にもう一本トンネルを掘り
上り・下りで分けて1998年から共用されていた。
(もともとのトンネルも2車線だったから、これで片側2車線を確保)
これは椿トンネルの南にある石塚トンネルも同様である。
国土地理院発行 2万5千分の1地形図「下関」
南側(行橋側)より撮影
右:椿トンネル 左:新椿トンネル
S氏「いや、ほら。新トンネルが『椿トンネル』で
旧トンネルが『椿隧道』だろ?で、コレ…」
氏の持つリストには1998年完成の新椿トンネルが「椿トンネル」として、
それ以前から使われていたほうが「椿隧道」として記載されていた。
そしてその下にもうひとつのトンネルが記載されていた。
「椿隧道」
て「…ダブり?」
S氏「いや、長さが違う。」
て「…あんの?」
コレまでもいろんな道を走ってきたが、トンネルが3つ並んだのは
ちょっと記憶に無い。どういうことだろう。
S氏「ま、とりあえず現場行ってみよう。」
僕はハンドルを門司方面にきった。
これは、それから2人が味わうことになる2時間の
壮絶な探検のドラマである。
(BGM:中島みゆき「地上の星」)
つづく→
ちなみにこのときまだ僕は「廃道者」ではない。
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2009.1.8
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