古い物 2つめ
最後の道 − 城井一号掩体壕


さて、古い物二つ目はちょっと趣向を変えてみる。
当サイトで趣向を変えるという事は
「隧道に行かない」
ってことである。

今回は戦跡を訪ねてみた。

場所は大分県宇佐市。
宇佐市で戦跡といえば「城井一号掩体壕」

「掩体豪(えんたいごう)」を知らない方のために一応説明。

戦時中、真っ先に攻撃を受けるのは工場と飛行場である。
そんななか飛行場では空襲から飛行機を守るために
上部をコンクリートで覆った壕が作られ、飛行機を格納した。
それが掩体壕である。



海軍零式艦上戦闘機五二型(靖国神社遊就館:てっく撮影)


「っていうか、宇佐になんで?飛行場なんてあったの?」
って人もいると思う。

実は九州各地に戦時中は軍が駐屯する飛行場(基地)があった。

主要なもの、というか僕が知っているだけでも、
福岡県 蓆田(むしろだ→板付、現福岡国際空港)、雁ノ巣
芦屋、太刀洗、築城
佐賀県 目達原
長崎県 大村(現長崎空港の近く)
大分県 大分、宇佐
熊本県 熊本、人吉(予科練) 
宮崎県 新田原(にゅうたばる)、宮崎(現宮崎空港)、都城
鹿児島県 鹿屋、知覧、万世、国分
小さな基地はもっとあった。

この中には現在も空港として利用されていたり、
自衛隊駐屯地になっているものが多い。

ちなみに「大分基地」は戦後大分空港となったが、いろいろあって
現空港は国東半島に移っている。現在の新大分球場付近。

また、熊本飛行場は別名「健軍飛行場」とよばれ、旧滑走路跡が
いま僕が住んでいるとこの目の前だったと最近知った。



宇佐の話だったね。


宇佐には昭和14年に海軍航空隊が開隊し、主に爆撃機の訓練が行われた。
そして昭和20年4月、神風特別攻撃隊がこの基地からも出撃。
以降約1ヵ月で154名の若者が出撃・散華したと伝えられる悲劇の基地なのだ。

宇佐航空隊跡地

昭和26年応急修正 五万分の一地形図「宇佐」
地理調査所発行
地形図中央に飛行場跡の記載があり、その西側に細長い四角いものが
南北に伸びているのがわかる。これが滑走路跡である。


ということで既に到着しております。
城井一号掩体壕は宇佐市史跡に指定されている。


今は公園として整備されており、基地の沿革や概要、ここから飛び立っていった
特攻隊員の名を記した看板が設けられている。

こういう場所では自然と無言にならざるを得ない。
知覧や鹿屋の特攻記念館でもそうだった。


石碑の1つに当時の空中写真と掩体壕の概略図が描かれていた。


この基地に配備されていた飛行機も紹介されている。

零戦や九九艦爆、一式陸攻などがある。

そう、管理人は戦前の日本軍機オタクである。


さて、掩体壕のほうに行ってみよう。
と、中にプロペラが見える。

「え、飛行機あるの?」



残念ながらあるのはエンジンとプロペラのみである。
当時を偲ばせるように前向きに置かれている。
また、床面には零戦を模した型が描かれており、
当時の様子、戦闘機の大きさを知ることが出来る。


中島飛行機製「栄ニ一」型エンジン。
空冷星型14気筒エンジンである。
後ろのほうにグレーで翼に当たる部分が描かれているのがわかる。

しかし、なぜエンジンだけここにあるのか?

コレは実は国東半島沖の海底から引き上げられたものなのである。
つまり、
この飛行機を操縦していた人は国東半島沖で戦死したと思われる。

襟を正そう。オタクがエンジン見たさに来たのでは申し訳ない。


防錆のために塗装がなされてはいるが、引き上げ当初のままだという。
その複雑な構造から、戦前の日本の工業力も実は凄かったんだと実感。


少しでも内燃機関を理解しているものなら、この写真の
シリンダーヘッドの構造がわかるだろう。
ところどころ激しく破損している箇所があるが、被弾の跡だろうか…

国東半島沖からは少なくとも3つのエンジンが引き上げられている。
少し前までは杵築市の奈多海岸に放置されていたものもあった。

国東半島沖はマリアナ諸島のグアム・サイパン・テニアン各基地から出発したB-29が
小倉〜広島を爆撃する際に通る北上ルートであった。

そのため迎撃戦も数多く展開され、どれだけの飛行機が
いまだ沈んでいるかすらわからないのだ。




周囲を見回すと、あちこちに小山が見えるが全て掩体壕である。
多くは現在民有地となっており、主に倉庫として利用されている。
この辺は古隧道に通じるものがある。



さて、公園から出てきたら、南北に道が真っ直ぐ走っている。
みんなスピードを出すのだろう。白バイが走っていった。


道の両脇に石柱があり「宇佐航空隊」「滑走路跡」とある。


北に向かって走ってみる。

昭和20年春、ここから飛び立った154名の特攻隊員が最後に通った道だ。

コックピットから見えるのは一面の田んぼと青空。
最後にこの景色を見て、彼らは沖縄へと飛んでいったのだろう。




飛行機は大好きだが、戦争の無い空を飛びたいものだ。


おわり

(情報協力:豊の国宇佐市塾さま)

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2008.8.28


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