古い物 1つめ
とある漁港にて

「古い物」一発目は…

ざっと調べてみたんだが、どうやらネットでは本邦初公開。
(それだけ取り上げる価値もないのかもしれないが)


ここは国東半島のとある集落。国道213号線から海に向かって下っていく。

道は一本で集落を通り抜けると、そのまま岬付近の漁港に向かう。


「で、どこに何があんの?」


まああわてずに、そこ、行き止まりですから車停めてくださいな。

見えるでしょホラ。僕の車の右上あたりに。





穴が。


これは波が何千年という長い年月をかけて作り上げた海食洞。
自然が織り成す造形。










ではありません。



ちゃんと向こうにつながってます。隧道です。



「なんでこんなトコに穴掘ってんだよ!」


さあ?


疑問にも思ったこと無いです。

「で、どこにつながってんの。この先に何があるんだよ?」

では通ってみましょう。あ、頭打たないでくださいね。
石が波で入ってきてて、天井が異常に低いですから。


で、


何もありません。






もう、このサイト見ていただいているひと全員にケンカ売ってるような展開


振り返ってみる。ここは地球ですか?



そろそろ真面目にいきましょう。

お気づきの人もいるかもしれないが、さっき通った集落に僕の実家がある。

子供のころはよくここで遊んでて、トンネルもよく通ってたんだが、
「なんでここに」とは考えたことも無かった。


ということで、浜ノ上隧道の情報を得た勢いで、
勝手に本サイトのスーパーバイザーということにしている親父に聞いてみた。

隧道は彼が生まれる前からあったそうだ。
つまり以下の情報は、親子二代にわたる伝聞。


まず、このホラ穴はれっきとした明治隧道である。

当時、漁港はまだ岬付近にはなく、もう少し湾の奥にあった。
(2枚目の写真の左端の石積)
その先は岬まで磯の海岸で、もちろん整備された道も無かった。

そして忘れてはいけないのが、浜ノ上隧道の項でも紹介したが、
この辺の集落を連絡する幹線道路は無かった。

「陸の孤島」などと今でも言われる大分県の中でもさらに孤島。
キング・オブ・陸の孤島


明治35年 大日本帝国陸地測量部発行五万分の一地形図「鶴川」

ということで、結論から言うとこれは隣の島田地区との連絡に使われていたのである。

実際ここから島田地区には僕も何度も行ったことがある。
確かに歩いて山を越えるよりも近い。
で、岬は満潮の時には海に浸かってしまうのでトンネルを掘るのも自然の流れだ。

でも、道中岩だらけで相当足元悪すぎますが。


かたや国道では道路トンネルがバカスカ開通しはじめている時期に、
うちの先祖達は道が無いなりに涙ぐましい努力をしていたのだ。

でもまあ、予想通りの結論であった。
はい、ひとつネタ完成。




そんな中、親父の口から不思議な言葉が放たれた。

「あと、畑があったから、そんために掘ったらしい」



畑?


↑ここのドコに畑があったっていうんだよ?
ってか何を作っていたんだ?

時は明治、小さいながらホントにここに畑があったらしい。
地主はうちの近所のお宅(のご先祖)。


そして…


台風で跡形も無くなった…


確かに、隧道の盤が少し上がっている。
この高さまで土地があったということか。

いずれにせよ、



見上げたらこんなことになってるトコで耕作はしたくない。



今回初めてこの隧道の詳細を伝聞ながら知ることが出来た。
なんで今まで聞いたことも無かったのか我ながら不思議だが、
改めて光を当てて見れば、レポートひとつ出来上がるくらいの情報があったのも収穫。

ひとしきり感心していると横で母親が口を開いた。

「こないだなんか、天井に頭ぶつけたわ

名誉のために行っておくが彼女がデカイんではなく、トンネルがホントに小さいのである。



今日も周防灘と我が家は平和です。


おわり

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