特設ステージNo.4
初代竹田津隧道

初代竹田津隧道から探検隊現る その2
■単独行 竹田津側突入?■

2008年のゴールデンウィークは非常に天気がよく
絶好の探検日和だ。


ここは国見町竹田津。国道213号線を走っている。
写真左奥が現道の新竹田津トンネルだ。


ここで右(西側)を向くと、尾根に向かう道が見える。

実はコレ、1958年(昭和33年)まで国道だったんである!

「それが何か?」

と疑問を持った友よ。
そんな疑問、数分後に吹き飛ばしてあげよう。


新竹田津トンネル手前から旧道に曲がる。

ちなみに新竹田津トンネルのさらに向こう側に旧道である
竹田津隧道があるので、正確にはそっちが旧道で、
これから向かうのは国道213号線旧道となる。


竹田津隧道(二代目:旧道) 
新竹田津トンネル(三代目:現道)




で、旧旧道。5分走ればこれだ。

途中倒木のため車での進入をあきらめ、現在徒歩である。

ってか道幅狭いし、最近誰かが通ったような形跡もないし。




なんかもう…

いろいろとダメだ…


道路は膨大な量の転石と土砂と枯れ木とヤブですでに壊滅状態。
どこからか水が流れてきており、道路は湿っぽい。

立ち止まり足元に目をやると、つま先のちょっと先に
なにやら白いものが散乱している。

画像はありません


だった。


小動物がここで何らかの理由から息絶えたようだ。

立ち止まったまま横に目をやると彼の頭蓋骨と目が合った。

「…」

かつて仕事で山の斜面を這うように上ったトコで
鹿の頭蓋骨と至近距離でコンニチハした経験のある僕でも


なんかもう…

いろいろとダメだ…



■探検隊 竹田津側突入■




結局引き返した。


実は翌日、北九州からチョメ氏が隧道探索に来る予定だったので、
彼のためにメインディッシュは残しておくことにした。

ということにする。

翌日朝チョメ隊長と合流。
箕ヶ岩隧道などを探索したあと、昨日撤退した道へ再び向かう。


もちろん昨日と同じ景色がそこにあった。
骨君もまだそこにあった。

ここから先、完全に廃道になっているが二人いれば怖くない。だろう。

リュックを背負い手にカメラを持ち、我々は突入を開始した。


数分で何か奥のほうに見えてきた。
手前のほうもいろいろと冗談じゃない。



はっきりとした掘割りが現れ、その奥に目的の穴が開いていた。


初代竹田津隧道 竹田津側坑口
しょだい たけたづずいどう 旧国道213号線(原形:沿岸道路)
大分県国東市国見町竹田津
竣工
廃止
明治29-34年
1958年(昭和33年)
延長 360m

明治34年、地元悲願の道として開かれた沿岸道路。
その東端に開いた延長360mの当時としては長大隧道。

当時のままの形でここに眠っています。

っていうか、


一人では無理だ絶対…



脇の掘割り、地山の礫が浮き出ているが、過去石垣とかあったんだろうか?
どうも道路に転がっている石が多すぎる気がする。



振り返ってみるとこんな感じだ。
とりわけデカイこの石はどこから来たんだろうか。


ちなみに掘割りの手前にこの土砂・ヤブがあるため、道路からは
竹田津隧道はもちろん、掘割り区間も見えない。

だからこそ不気味。



坑口上からは水が滴り落ちていて、それを溜めていたのだろうか、
小さな丸い貯水槽が坑口脇に残されている。


さて入ろう。

実は数年前にここを訪れている「廃線隧道のホームページ」管理人のしろ氏は
この隧道の両坑口付近についてこのようにレポしている。





水没している。




チギリメン隧道では当サイト初の「閉塞隧道」を紹介したが、
今度は「水没隧道」かよ…



と思っていたが、


どうやら水は無いようだ。あったような形跡があるが、渇水期なのだろう。

とにかく入洞するも路面は落石だらけ。幅員は3mくらいだろか。
さすがに照明も何も無いので暗い。

振り返ってみる。



グロテスクなまでに美しい光景。

我々だけ不気味さを味わうのは悔しいので
サービスサイズ(600×450ピクセル)でご覧下さい。



僕が言ったことを思い出して欲しい。







国道だったんだよ?







進行方向を向けばはるか彼方に出口を示す光点が見える。

その手前の世界は漆黒の闇。
何が待ち構えているかわかったもんじゃない。

現役時もこの状態だったワケだから当時に生まれなくて良かった。




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2008.8.23


初代竹田津隧道03
初代竹田津隧道03
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