特設ステージNo.4
初代竹田津隧道

初代竹田津隧道から探検隊現る その1
■導入■

強烈物件を紹介する特設ステージも第4回目。

今回も当サイト名物「大分県国東半島ネタ」で行きます。

ラーメンしかないのに「うちの名物はラーメン!」と
言ってのけるくらいの度胸がなければ
今回の隧道は攻略できない。

「隧道ぶち抜きツアー」の国道213号線の項で、
最後までレポ出来ていなかった隧道がある。
そう、初代竹田津隧道である。

明治時代、国東半島各地でむやみに造られた隧道のうち、
年代がわかっているものの中で最古のものは
明治24年完成のチギリメン隧道および箕ヶ岩隧道である。
しかし、いずれも現在は完全な形では残っていない。

詳しくはめんどくさいから各レポ参照。

では現在も当時の形を残す最古の隧道は…(※1)


■行く運命にあった■

この隧道、現在こそいろんな廃道系サイトで紹介されていて
ネジの緩んじゃってる系の人々がけっこう到達しているが、

実は僕はこの隧道の存在を10年前から知っていた。

当時、土木業界にデビューしたての僕は主に「砂防調査」というものをやっていた。
詳しい説明は省くが「山歩き」メインの仕事だ。

ある日ボスから指令が下った。
「大分県西国東郡を調査して報告せよ。」

なんと地元ではないか。行く行く、行きます。

地図は「森林基本図」を頂いた。
縮尺は1/10,000、かなり詳細な地図である。
地図上の1cmが実際の100mで描写される。

そして調査出発前の読図作業に入ったとき、ふとそれは目に入った。

「あれ?こないだできた竹田津トンネルがこれだろ…、なんだコレ?」

地図には昭和63年完成の新竹田津トンネルの上に重なるように

小さなトンネルが描かれていた。

「ま、林道かなんかのトンネルやろ。時間があったら通ってみよ…」

結局そのときは時間がなく、そこまで行くことは無かった。


そして10年が経った。


※1:2009春の「一円坊隧道発見によって、
      初代竹田津隧道は「2番目」になりました。



■明治34年 沿岸道路完成■

何度も何度も何度でも説明しよう。

と思ったけど、もうさすがに他で説明しすぎたんで箇条書きで。

・国東半島は明治時代まで海岸線を通る道はなかったよ〜
・明治34年、西の豊後高田〜国見町竹田津までの「沿岸道路」完成。
・沿岸道路の隧道数は10以上。
・国見町竹田津〜東の国東町は明治42年に「北部海岸道路」開通。
・こっちも負けじと隧道多数。
・以上、現在ほとんどが国道213号線。

いずれの道路建設の際にも掘られた隧道群。
多くは昭和になり改修をうけ、現在も国道として絶賛活躍中だ。

しかし、沿岸道路の最西端、旧制国見町竹田津と香々地町を結んだ
竹田津隧道(上図星印)は、現在国土地理院の地形図には記載されていない…
(僕が見たのは林野庁所轄の森林基本図だった。)

明治時代の地形図を見ていただこう。


明治35年測量 大日本帝国陸地測量部発行五万分の一地形図「姫嶋」
明治36年測量 大日本帝国陸地測量部発行五万分の一地形図「鶴川」

マウスを載せると現れるのが現在および先代の隧道。
そう、ここは過去3つの隧道が掘られた。
昭和33年完成の二代目、昭和63年完成の三代目は現存しており、
すでにレポートもすんでいる

そして、その初代こそが今回のターゲットだ。



あの地図を見て早10年。

平成20年ゴールデンウィーク。僕はこの地を訪れた



今思う。



10年前、ほんと行かなくて良かった。



何が「林道かなんか」だよ、おめでたいよ10年前のオレ!

そこはなんの心の準備もなしに行くところではなかった。


果たして→


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2008.8.22


初代竹田津隧道02
初代竹田津隧道02
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