特設ステージNo.7
薩摩街道 三太郎峠 「廃道をゆく2」への道

薩摩街道三太郎峠 佐敷太郎峠の3

■さて江戸道を行こうか■




さて、再び田浦側に帰ってきた。
江戸道の入り口は写真の大規模農道トンネルの近くにある。



明治国道が大きくカーブする箇所が、佐敷太郎峠の
田浦側入り口である「滝ノ上」集落へと向う地点である。。


明治34年測量 大日本帝国陸地測量部発行五万分の一地形図
「教良木」「日奈久」
「 水俣 」「 佐敷 」
※なんで4図幅の境目にあるんだ…スキャンが大変だ。




江戸街道はここから谷に沿って上り、佐敷太郎峠を目指す。

では!



滝ノ上集落へ曲がっていく道にやってきた。
ゴミ回収ボックスがぽつんと置かれているが、その横に



ちゃんとこれがあった。







滝ノ上集落は谷沿いに家々が寄り添う狭い集落であり、
その中心を現在アスファルト舗装された江戸街道が通っている。

畑仕事をされていたおばあさんがいたので、一礼して通り過ぎた。
リュックを背負った徒歩の男だが怪しくはないようだ。




集落の最も上流側、この正面の谷を江戸街道は通っている。

んだと思う。


で、その入り口にはここに確かに道があったことを示す看板が。



薩摩往還石畳

教育委員会の方々によって設置された看板には、ここにかつて石畳があったと記される。

ただ、

「交通の要衝であったようだ」
「今では往時の面影はないのだろうが、」
「この石畳を踏破したのであろう」

あまり断定形を使っていないところに探検心をくすぐられる。

実際、この道があまり記録に残っていないことは
僕も熊本県立図書館で調査済みだ。








さて、石畳看板から上を見れば例によって彼が我が道を示してくれる。

探検心をくすぐられながらも、実際道に迷ったら困るんで
これは助かりますありがとうございます。




さて、↑こういう趣のある道が残っているので、てくてくと歩く。

既に僕は江戸街道を歩いている。
古い道だ。

100年以上前に交通の目的で使われることはなくなった道だ。




だから







こんなことになっている。

え〜、この写真は仰角(見上げ角)35度くらいで撮影しております。

100年の歳月は道を削り、斜面を壊すには十分な時間なんですね…


で、写真右端に見える黄色と黒のロープ(通称トラロープ)ですが、
近年、地元自治体主催で薩摩街道ウォークイベントが年一回開かれており、
その際の目印として張られているのだろう。これを掴んで上ります。


ちなみに歩き始めて100mくらいですここ。
先が思いやられる。





いやマジで。


道はすで完全に「山道」となり、両側からの土砂崩落と落ち葉で地面が見えない。

想像してください。

ここを参勤交代で1000人が越えたんです。
殿様は御輿に乗ってたかも知れんが、逆にそのほうが怖い。





道が消えかかると彼が「ここをゆくのだ!」と僕に喝を入れる。
ただ、指し示す方向に道が見えないのが難点だ。




かろうじて踏み跡をたどれば、たまにこういう明瞭な道も見えないではないのだが、




そのまま沢に突っ込んでたりして、このトラロープが無ければ
引き返そうかなとも思う。

逆にこういう人工物があることで安心する。
だって一人で歩いてるんだぜ?


ここまででだいたい500mくらいか。

全然たいしたこと無い距離に思えるが、なんだか時空を越えた位置にいる気がする。
4つの車輪がついた乗り物を転がしている自分からすると、
江戸時代はこれが普通だったんだと、なかなか思えない。




おそらく、江戸街道当時の道というのは大部分が消失しているのでは無いだろうか。
沢筋に沿って上るということは、そのまま水害に弱いということを示す。



正直言って、なんの根拠で↑が立っているのかも分からない箇所も多い。





ここなどは、岩盤がおそらく自然に崩壊してできたくぼ地を通っている。





そびえ立つ岩盤の間を道はくぐり抜ける。
巨大な転石がごろごろ落ちてくるところをわざわざ通らなくても、
↑の岩の左側には広くて歩きやすい沢があるんだけどね…。


本当にここが江戸街道だったんだろうかと疑念を持つ僕に
唐突にハイライトシーンは現れた。


谷筋に沿って張られたトラロープをたどる。


ずいぶん石がたくさん転がっている。
まあ山の中の沢ではよく見る光景だ。


しかしそれにしては…



やけに石が揃って並んでいる。


若い頃より、様々なこと(主に男女関係他)に対して
非常に鈍感なことに定評のある僕でも気がついた。






「石畳だ!」

そこには数十メートルにわたって、明らかに人工的に並べられた石が平坦に連なっていた。





100年を越す自然の浸食作用にも耐えた石畳。
ここまで綺麗に残っているのは三太郎峠全区間を通してここしかない。


感動して「廃道をゆく2」では当該ページのトップにしてもらったくらいだ。


しかし僕ごときの記事にカラーページ使ってもらってほんとに恐縮でした。






石畳を後にして登っていくと、次第に明るくなってきた。
これまではずっと植林地だったが、そこを抜けたのだろうか。




ウォーキングイベント用だろうか、丸太を組み合わせた階段が設けられている。

そこを上っていくと、




なんか舗装路に出た。

江戸街道、どうやら農道に転用されております。

その証拠に、


彼が立っています。


そして彼は…


農道では無い方向を指し示しております。
その先には猛烈はヤブ。

1月でコレ。



絶対に行きたく無いので、とりあえずそのまま農道を歩くことにする。




振り返ると、なかなかの眺め。
中央下が先ほどの滝ノ上集落。
右端のはるか彼方に見える稜線が赤松太郎峠である。





気がつくと眼前に携帯電話の基地局アンテナが見えていた。
明治国道からみえたアレである。



↓アレ


徒歩でずいぶん登ってきたもんだ。




農道はずっと登り坂だったが、ここに来て平坦になった。


峠に着いたのか?





道は平坦になったところでT字に分かれているが、
困ったことに、この道が地形図には細かく描かれていない。

いや、描かれているんだが、なんか大雑把。

ここでどっちに行けばいいのだろうか。

迷って右に行ったら、さっきの無線基地局のアンテナについた。




はるか彼方に芦北町佐敷地区が見える。






どうやらここが峠なんだろう。と思っていた。


しかし現実は厳しかった。

僕は100年の時を越えて何をやっているのだろう…

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2011.2.13


薩摩街道三太郎峠 佐敷太郎峠4
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