特設ステージNo.7
薩摩街道 三太郎峠 「廃道をゆく2」への道

薩摩街道三太郎峠 佐敷太郎峠の2

■佐敷隧道■

さて、明治時代の国道とはいえ、ただ道があるだけじゃあここまで紹介しない。
歴史があるかもしれんが舗装もされてるし。

ハイライトはここ。もちろん隧道。




グニャグニャ道も峠に近づくとなにやら石碑が目に入る。



佐敷隧道 登録有形文化財 文化庁」


そう。ここの明治隧道は既に文化財にまで指定されている。

そしてその姿は…






どん。


佐敷隧道
さしきずいどう 旧国道3号
熊本県葦北郡芦北町
竣工 1903年(明治36年) 延長 434m

熊本の道路トンネルでは珍しい総レンガ造りの隧道だ。
明治時代、新国道の建設が始まった際には、ドイツ人技師を招いて
建設が進められたという逸品。

その延長434mは当時としては国内第6位の長さを誇った。



明治時代、特に初期は海外から取り込まれた隧道技術が
主に鉄道方面で発達していった時期であり、
その後その技術が道路にフィードバックされていった。

三太郎峠の国道化の代わりに鉄道が通った内陸の球磨川地域では
それはそれは立派なレンガ隧道があちこちに残っている。現役で。




明治時代になると、政府の方針で土木技術の助っ人外人が多く日本に招待された。
砂防・治山といった水理土木業界では有名なヨハネス・デ・レーケも明治6年に来日し、
30年間に渡って全国で土木事業の指揮に当たった。



さて、佐敷隧道の脇はヤブも無く、隧道の上に登っていける。



立派な扁額が取り付けられているが、苔むして読めない。




レンガ隧道上部の排水溝を見るのは初めてだ。
100年経っても破損も無く機能は失われていない。

文化財として登録されているのも納得で、
学校の社会科の授業で見学に来るべきだと思う。

僕が担任になったら、授業のたんびに山に連れて行かれる
生徒はたまったもんじゃないだろう。
(こう見えても教員免許を持ってるんだぜ)

実はこの隧道建設当時の様子を日記に残した教師の記録がある。

当時田浦小学校の教員であった野浦法真教諭は、
生徒を率いて佐敷太郎峠(江戸道)を越えている途中に、
「西方山腹に国道工事の発破の音しきりに聞こゆ」
と日記に記している。
(田浦町誌 昭和63年編)

明治34年1月。完成まであと2年の時のことである。

そんな寒い時期に遠足に行ったのだろうか?
図書館で町誌読んでてそんなことが気になった。

この日記からも佐敷隧道はダイナマイトを用いて掘られたことが分かる。
この辺りの地質は恐竜がうろうろしてた頃に堆積した砂岩や石灰岩。
とにかく硬いんです。


さて、この佐敷隧道。
残念なことに、全国の他の古いトンネルもそうである様に、
熊本県内において有名な「心霊スポット」となってしまっている。
「佐敷の旧トンネル」で検索すればその手のページに飛ぶだろう。

高校のとき数学・物理・化学のテストで毎回赤点を頂きながらも
かたくなに「オレは理系だ」と主張し続けてきた僕から言わせていただくと、


だいたいお化けというのは「いない」のである。

アレはウソなんであり、寝ぼけた人が見間違えただけなのである。



そんなこと気にせずに中に入ればいいのだ。

で、中は照明が消されており中央付近を歩いていると真っ暗であり足元も見えない。
しかも湧水が多いために、

「チョロチョロチョロ…」

と音がする。もちろんその方向を見ても暗くて何も見えない…



湧水でできたシミがぼんやりと見える…


方向感覚がずれるため、気がつくと壁にぺったりくっついていたりする。












「♪ちょっとだーけ怖いな…」








佐敷隧道 佐敷側坑口
「なんで電気つけてねーんだよ!」と憤りながら半泣きで出てくると佐敷側。
佐敷太郎峠はこれで越えたことになる。

こちら側も立派なポータルだ。文化財というのもうなずける。




と、隧道脇に明らかに明治時代のものではない建物が。
これは何だろう?


答えは門柱に書いてあった。

↓マウスを乗せて拡大


「…。」

答えを先に言えば、これは直下を通る佐敷トンネルの排気施設。
けっして日曜夕方6時半からのテレビに出る家ではない。


「佐敷トンネル換気所」



しかしセンスあるなあこの落書き…






■明治国道後半■



さて、隧道をあとにして、南側の佐敷に向って下っていく。
まあこちらも前半と同じく普通の舗装道路である。



彼方に芦北町中心部、佐敷地区が見渡せる。
写真中央の丘のような小山にかつて佐敷城が建っていた。
赤松太郎峠の最後にふれた「梅北の乱(梅北一揆)」の舞台になった城だ。



赤松太郎同様、ここにも採石場があり、あちこちに白い岩肌が見られる。



そのため、ダンプが頻繁に通るため、舗装もきちんと整備されている。

さて、ぐにゃぐにゃ道もどんどん高度を下げていく。


振り返れば、よくあんなトコに道作ったなあという景色と、例の鉄塔



ダイナマイトでないと隧道が掘れない地質。
道路わきにもゴツゴツして亀裂が多い岩肌が。

落石に注意だマジで。



下を望めば現道が見える。



佐敷地区に下りてきた。


ここにも例の道標が立っていた。
右に行けば佐敷城跡、左はいま通ってきた明治国道ではなく、


←現国道へ           ↑明治道               江戸道→

この写真の右端の道を行けばある江戸道を指し示している。


ちなみに佐敷から熊本城までが19里(76km)もあるわけで、



「江戸」って大胆だよな。




直線距離で1000kmあります→



←特設ステージTOPへ
トップへ
トップへ
戻る
戻る
2011.1.17


薩摩街道三太郎峠 佐敷太郎峠3
薩摩街道三太郎峠 佐敷太郎峠3
inserted by FC2 system