特設ステージNo.7
薩摩街道 三太郎峠 「廃道をゆく2」への道

薩摩街道三太郎峠 佐敷太郎峠の1

■佐敷太郎峠■


さて、三太郎峠北側の八代方面から赤松太郎峠を抜ければそこは佐敷町田浦。
昔は田浦町さらに昔は田浦村と呼ばれた地区だ。

そしてそこから南にある芦北町中心部、佐敷地区を目指すのが佐敷太郎峠である。


ちなみに三太郎峠の現国道では、各峠の入り口付近にこんな標識がある。

僕はこれが目当てで来てるんで、「あ、ここだ。」と思ったが、
事情を知らない人が見たら頭の上に「?」が三つくらい並ぶと思う。

多分道路に関係する標識のはずなのに「太郎」だぜ?

■とりあえず現道■


さて、太郎看板を通りすぎると、道はここで現道と明治国道に分かれる。

現道を直進すると山の向こうの海浦地区に抜ける海浦トンネル。
ただしそこは佐敷太郎峠ではない。

ちょっと地図を見ていただこう。


佐敷太郎峠


ずいぶんにぎやかな地図になってしまったが、佐敷太郎峠は概ねこんな感じで
多くの道路により越えられている。

峠といえば隧道だが、純粋に峠直下を通るトンネルだけでも
現道や最近できた自動車専用道、鉄道、大規模農道まで入れたら、全部で5つもある。

明治時代の国道計画のときに外されかけたのも分かるくらいの難所なわけだ。



佐敷トンネル
さしきとんねる 国道3号
熊本県葦北郡芦北町
竣工 1964年(昭和39年) 延長 1570m

こちらは現国道の佐敷トンネル。開通が45年近く前のことなので
車道は2車線を確保しているが歩道がやたらと狭い自転車泣かせのトンネル。
しかも長え…。

佐敷方面に仕事で来るときはこの道をいつも通っていたのだが、
2009年4月に南九州西回り自動車道が佐敷まで開通した(芦北IC)ので
通ることもほとんどなくなってしまった。もちろん交通量も減った。


■明治国道に行こう■



さて、先ほどの分かれ道から左に曲がれば明治国道。



こちらも赤松太郎峠の明治国道同様、現在も町道として整備されている。
さらに付近にはみかん畑が多いので農業用に大活躍だ。




さて、明治国道を進んでいくと、この辺りで江戸道との分かれ道がくるのだが…

はるか彼方の稜線に送電鉄塔と携帯電話の基地局鉄塔が見える。
この二つがのちのち江戸道を行くときに、写真内によく登場することになるので
覚えておいて欲しい。

あの稜線こそが佐敷太郎峠なのである。




さて、なにやら新しいトンネルがある。

もちろんコレは江戸道ではなく、さっきちょこっと述べた大規模農道。
本当の江戸道は左に写ってる明治国道の近くにあるのだがそれはあとで。




江戸道ならびに農道から分かれて明治国道はさらに標高を上げていく。
しかし、もちろん当時の建設技術。現在のような大規模掘削ができないため
その険しい地形に沿って、グニャグニャ道を作るしかなかった。

峠の田浦側は明治34年着工、翌年8月に開通した。

現役当時はこれをトラックが行きかっていたという。怖すぎ。



道は険しいが、景色は良い。
眼下には海浦地区の漁港が見え、はるか彼方には天草諸島が望める。


まあ、ここまで読んでいただいて分かるとおり、

あんまり面白い道ではない。



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2011.1.17


薩摩街道三太郎峠 佐敷太郎峠2
薩摩街道三太郎峠 佐敷太郎峠2
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