特設ステージNo.7
薩摩街道 三太郎峠 「廃道をゆく2」への道

薩摩街道三太郎峠 赤松太郎峠の4

■ミチシルベ■

なんの因果か始まってしまった「赤松太郎峠おさらいの旅」。

いろいろと出発前に考えた。

集まった資料(地図)を眺める限り、けっこう狭い道や
未舗装路も歩くことになるだろう。

そこに車で行って、「駐車」→「探索」を繰り返したのでは
時間の無駄だし、場合によっては「高額な青い切符」が手に入る可能性も高い。

考えた末に、部屋の隅っこに停めてある自転車を分解した。
分解っていっても、ちゃんとしたスポーツ車だから簡単に出来るようにはなっている。


車輪を外してフレームと別々に車のラゲッジに放り込めば出発OK.
近くまで車で行って、あとは小回りの利く自転車で回ろうという「機動部隊方式」。

仰々しく言ってるが、この業界ではみんなやってることだ。










さて坂道だ。



川が急な渓谷を作っているので、このあたりの江戸街道はちょっと離れた尾根を越えている。

まあ日本が世界に誇る「シマノ製ラピッドファイア式多段変速機」の前では
この程度の坂など軽々と越えていける。



但し、エンジンがしっかりしていればのお話。



ぜえぜえ言いながら一番軽いギアを踏みつける今年34歳。
しかも喫煙者。あげく酒飲み。

「だいたい、あちこち看板あるってことは、教育委員会とかが把握してるってことじゃん…」
「わざわざこんなことせんでも、そういうとこに行けば資料見せてもらえるんだろ…?」

などと、サイトの存在理由すら否定するようなネガティブ思考で汗を流す。
とても高校時代は片道15kmを自転車通学したとは思えない男の末路。

しかも同時刻、アメダス八代観測所では最高気温32.6℃を記録。

ついに思考が「何やってんだオレ?」という最終段階に入ったとき、道は下り坂になった。

「ひゃっほー!」とさっきまでのネガティブ思考を
秒速5mで置き去りにしながら下っていくと、

明治国道に合流した。


ちなみにここは4世代の道がすべて視野に入るという貴重なスポット。
(例によってマウスをのっけてね)


自転車を停めてうろうろしていると、変わった石碑が目に入った。




何なんだろうこれは。

どうも「後備○満期記(○がよくわからん)と書いてあるように見えるのだが…

と思っていろいろとググっていたら、どうやら○は「役」かもしれない。
「後備役」というのは明治6年の徴兵令によって制定された陸軍の兵役である「後備軍」が、
明治22年の改正により改名されたものだ。
いわゆる「予備役(通常の兵役を終えた後の役)」のさらに次の役である。

(詳しく知りたい人はwikipediaで

当時は国民皆兵制であり、このあたりにももちろん予備役・後備役の在郷軍人は多くいたはずだ。
多分「やっと全部の兵役が終わった〜」記念碑なのではないかと思うが、


実はこれ、



右田浦ヲ経テ佐敷
左○川○ヲ経テ吉尾
道標にもなっている。

はっきりしたことは全く分からないが、多分この地にかつていた在郷軍人の方が
「お国のために尽くし、晴れて軍職を解かれた。あとは皆のために道標でも作って役に立とう」

と思われてここにこれを作ったのではないだろうか。

イイハナシダナー。


で、この道標。

いつ頃立てられたのだろうか。


ほんと、そんなのこのレポートの本線から全く外れてんのに
「興味を少しでも持ったら終わり」のこの性格なんとかならんだろうか…


まず、江戸街道だろうが明治国道だろうが、「田浦を経て佐敷」が右なら、
左は「二見を経て日奈久(もしくは八代)」が自然となる。

しかし左は解読不能だが最終目的地が「吉尾」となっている。
吉尾は前々ページでちらっと出てきたが、東の球磨川沿いにあった村で
現在は芦北町吉尾となっている。



問題は経由地だが「○川○」と読める(読めてないわw)が、これを周辺の地図で探すと、
この道標のある小薮地区から東の山に登ると「二つ野峠」という一つの峠があり、
その向こうに「前川内」「本川内」という地名があった。
いずれも吉尾に行く途中なので、経由地はここのことだと思われる。

つまり、この地区から街道を分岐して山を越えるルートがあったので、
江戸街道を北から来た人のための道標だったのではないだろうか。


明治22年改正の徴兵令によれば、現役・予備役あわせて陸海軍とも7年。
後備役はその後5年となっているので、明治22年に初めて徴兵された人が
満期を迎えるのが明治34年になる。

赤松太郎峠の明治国道開通は明治41年だから、
それまでの間に立てられた道標なんだろう。



薩摩街道 御籠据所跡入口

振り返れば今度は最近立てられたであろう立派な案内標柱が。
しかも「薩摩街道」と書いてあるので、本レポートにぴったりだ。

どうやらここに参勤交代の際の籠の行列を休ませる為の場所があったそうだ。
ちなみに後ろに写ってる道を僕は先ほど下りて来たので見落としたようだ。

で、三十m(ヘンな表記だ)戻ってみたが、民家があるだけで何もなかった。

以上。不完全燃焼。





しかし、ホント寄り道すきだなあ…

たった二つの道しるべでここまでスペースと文章使ったよ。



エライ大脱線してしまったが、

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2010.8.21


薩摩街道三太郎峠 赤松太郎峠5
薩摩街道三太郎峠 赤松太郎峠5
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