国東半島巡り 国見町4
長瀬トンネル
ながせとんねる 国東市道
大分県国東市国見町長瀬
改修 1978年(昭和53年) 延長 260m

啝ノ浦隧道から西へ、長瀬集落を抜け尾根を登る坂道の途中に
「隧道記念碑」と書かれた古い記念碑が目に入る。



国見町に残る古い資料では、この地域には3つの街道があったと紹介される。

すなわち国見町中心部の伊美の谷から半島を南北に縦断する「杵築往還」
半島を海岸線沿いにトレースしながら南に向かう「大分往還」

そして、大分往還の通らない海岸部の集落をカバーした「浦部往還」

この3つ目の街道に関しては諸説あるようだが、長瀬トンネルの西側の
岐部地区には3つの街道が存在したとの記録があることから、
岐部地区→長瀬隧道→啝ノ浦隧道楠戸隧道港線隧道→小熊毛地区
の流れもその一部であった可能性が高い。

この浦部往還には元々人の歩くような道しかなかったのだが、昭和初期に
相次いで上記の隧道が掘られている。そのひとつが「長瀬隧道」だ。

しかし、


長瀬トンネル 長瀬側坑口





昭和53年に綺麗に改修されてしまっている。



「〜しまっている。」と書いてしまうのが旧道マニアの悪いところ。

普通の人は誰だって、「素掘り、モルタル吹付、狭い、暗い、怖い」隧道よりも、
「広くて明るくて歩道もちゃんとある」トンネルを望む。

地元にとっては「何がいけないんだよ!」の一言。



記事中の往還情報:実家の居間にあった「国見町郷土史研究会会報」より。
    親父は何を始めたのだろうか…     



おわり

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2008.2.

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