国道213号線 トンネル13
箕ヶ岩隧道
みのがいわずいどう 国道213号線(旧道)
大分県国東市国見町竹田津
竣工
改修
1891年(明治24年)
1935年(昭和10年)
延長
(改修後)
17m

国道は国見町最後の地、竹田津に入る。昭和中期までここは「竹田津町」という
独立した自治体だったのだが、昭和35年、一足早く合併し「国見町」となっていた
伊美町、熊毛村と合併、新生「国見町」となった。現在は国東市。



写真右を走るのが現国道213号線。
旧道は写真中央から左にカーブして、円弧を描きながら写真中央奥の尾根を目指す。
なぜ旧道はそんなルートになっているのか?
実は写真奥の中央から右半分は、かつて「海」だったのだ。

入り江の多い地形である国見町は古くは江戸時代から各地で干拓事業が行われ、
主に水田などの作付面積を増やしてきた。
そして最後の干拓地が、昭和36年起工、同41年完成の「竹田津干拓」である。

しかし完成後まもなく、国の減反政策が開始。
完成したはいいが、いきなり休耕田になってしまった悲運の干拓地なのだ。

ともあれ、おかげで国道は狭い集落を通らずに、だだっ広い干拓地を
直線で走り抜けられるようになり、国見トンネルの開通もあいまって、




スピード違反切符のメッカとなる。




さて、安全運転で旧道を走って櫛海(くしのみ)地区と鬼籠(きこ)集落の間の尾根までやってきた。
ごらんのように池があるが、これが干拓によって締め切られたかつての海。

その向こうにぽっかりとかわいらしい隧道(やばいなこの感性…)がある。


ちなみにこれが「国見町史」に載っていた同地点の写真。
ほぼ同じアングルであるが、干拓地は無く、海岸線の断崖であることがわかる。
印刷物を携帯のカメラで撮るとコレだけ見にくくなるという良い例。

多分この三角の岩が「箕ヶ岩」と呼ばれているのだろう。



箕ヶ岩隧道 櫛海側(東側)坑口

コンクリートブロックで構成されるも非常に立派なポータルだ。
断崖の尾根を貫いている。確かにこの隧道が無い場合のルートは
干拓地が無い場合、これはもう山越えしかない。


扁額には昭和10年6月の文字が見られるが、これは改修年である。
隧道自体はそれより前、なんと明治24年完成という、業界トップクラスの歴史を誇る。


内部は「坑口のみブロック巻き」という他の現役古隧道とは一線を画し、
総ブロック巻きである。まあ、17mという短い延長だから出来たんだろうが。



隧道を抜ければその先で現道に合流するか、さらに山側の旧道に行くかが選べる。



箕ヶ岩隧道 鬼籠側(西側)坑口

こちらはややオーバーハング気味の崖が道路側にせり出しており、
ポータルも無理にそれに沿わせるように作られている。
右半分はアーチ部しかないのだが、コレには後述するワケがある。

この隧道は旧道になってもなお、地元にとっては必要なルートであり、
通行車両も比較的多い。

さて、次のトンネルに行きたいんだけど、ここで引っかかることを解決しておこう。



この隧道の竣工は明治24年と書いた。

ここまで古い隧道は周りを見回してもほとんど無い。
櫛海地区の東にある、先般国見・妙見隧道でスルーした古隧道(チギリメン隧道)が
ほぼ同時期に完成し、伊美や竹田津の各集落の交易が盛んになったと国見町史にはある。

詳しくは後日に回すが、チギリメン隧道は既にその役目を妙見・国見両トンネルに譲っている。


で、問題は下の地図を見ていただきたい。


昭和26年 国土地理院発行五万分の一地形図「鶴川」「姫嶋」

これは箕ヶ岩隧道改修後の地形図である。昭和中期だ。
中央に小さな隧道マークが見える。ここ。
確かに海岸沿いの岩場を貫いている。


明治35年測量 大日本帝国陸地測量部発行五万分の一地形図「姫嶋」
明治36年測量 大日本帝国陸地測量部発行五万分の一地形図「鶴川」

そしてコレがそれより前、明治期に箕ヶ岩隧道が竣工した約10年後の地形図である。

長いんである。

これはもう、測量・製図技術の差から現れる誤差とかそんなレベルじゃない。
僕が酔っ払って測量した後、二日酔いで製図してもこんな違いは出ない。


何度も見比べてみると、どうも改修後の隧道の前後の道が、明治よりも海岸沿いを
通っているように見える。つまり現在の旧道は昭和期に出来た道で、
明治時代、もっと隧道は長かったのではないか?という疑問が生まれる。



ちょっと櫛海方向に戻ってみる。
明治期の地図ではこのあたりから隧道になっている。結構な距離だ。

で、それを取り壊して、さらに海岸沿いを少し埋めて昭和道が現れる。

さて…

いや、事前情報はあったんだ… わかってはいたんだけど、

アレがあんなふうになっているとは思わなかった…



国道213号線の原型 
初代・箕ヶ岩隧道

明治期に作られた隧道はそのほとんどを開削され、
西側の一部のみが現在の隧道になっているものと考えられた。

地図上はね。

では、初代の長〜い隧道は残っていないのか?



ここにあるんです。

「え、どこ?」


いや、ここに。なんか変な空気感じるでしょ〜?


「…わからん」



ホラ〜。



「!!」







藪の向こうに…





トンでもないモンが隠れておりました…


ナチュラルボーン・ヘタレの動きが止まる。

でも…

…やっぱ入らんといかんわな。


ちょっと車からLEDライトとってくる。





藪の中に入ってきました。
巧妙なカモフラージュだ。武装兵とかが隠れていてもおかしくない。




あらためて中に入ってみると、ほら穴はゆるく右にカーブしている。
幅は一車線といったところ。明治時代の馬車は余裕で通っただろう。

しかし落石も無くよく残っていたもんだ。
地元の子供達とか知ってるんだろうかここ。
今度櫛海の友人に聞いてみよう…



ってか怖いんだよ!!

写真だって明るく見えるけど、パソコンで処理して明るくしてるだけで、
ホントはもっと暗くて、なんで一人でこんなトコいるのかわからなくて…(泣)



で、怖いって言ってるのにコウモリ発見ですよ。
不気味さに輪をかけますよ。


振り返る。手掘りのノミのあとが生々しい。


あと、コレはなんなんだろう。四角い穴が等間隔で並んでいる。
照明か何かを掛けていたのか、それとも建設時の支保工の跡か。




程なくして隧道は閉塞していた。

しかも帰って画像処理して気がついた。

コウモリ何匹いたんだよ!!


コウモリは今となってはどうでもいいが、この閉塞。落盤ではない。
コンクリートで塞がれている。不自然だ。
なんで塞ぐのにブロック積み使ってるんだ?

隠れていた坑口から閉塞地点まで20m前後。
実はこれは現在の箕ヶ岩隧道の延長に近い。


つまり、



自分で自分を殴りたくなるような作図だが、こういうことだ。

西側の坑口のみが現在の箕ヶ岩隧道と重なっており、
現隧道の内部を巻いているコンクリートブロックにより旧隧道は閉塞されている。



この崖沿いのアーチ部が不自然に見えたワケだ。


国見町の、いや国東半島の隧道の歴史を考察する上で、
実は非常に重要なポジションにあった箕ヶ岩隧道。

歴史を感じながら後にする。

でももう二度と行くことは無いだろう。あのほら穴。


でも二日後、チョメさんが北九州から探索に来られたので、
結局また入りましたけどね。



さて、次の町に行こう→


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2008.6.18

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