国東半島巡り 国東町4
岩門隧道
いわもんずいどう 国東市道
大分県国東市国東町文殊
竣工 1921年(大正10年) 延長 31m

山の中にしかトンネルの無い国東市国東町。
しかし、山間部に目をやればそこは…




県道の高密度地域。

古くより半島中心の両子山周辺地域は交通の要衝として栄え…てはいないが
道だけはたくさん作られてきた。
半島の向こう側に行くには、海岸沿いよりもむしろ山越えルートが
多く選択されていたのは事実だ。

戦国時代には関が原の合戦の際、東軍の黒田勢が西部の高田から半島中部に入り、
中心部の赤根(現国東市国見町赤根)で一泊し、別府(石垣原)他の
西軍陣地へと攻め入った記録がある。

そして江戸、明治、大正と時代は流れ、この地域にも「道路」が現れる。

そして昭和。両子山をぐるりと取り囲むように県道が繋がる。
通称「ハチマキ道路」の完成である。(図面の赤丸内)

そしてハチマキ道路から派生する道路も、昔からの山道を改修してずんずん整備が進む。

しかし、実は険しい修験道の里の山道。

真っ直ぐな道のほうが少ないぞ!



さて、上の地図の赤丸の中の右上。
場所は来浦谷と富来谷のそれぞれ最上流部。

ここに県道ではないが細い山道が走っており、
二つの谷を繋いでいる。

来浦地区上流部から行ってみよう。


半島中央の赤根地区からやってきた県道文珠山浜線と山口池で別れ、
道は南の尾根に上る。そして険しい山を越えて、霊峰文珠仙寺に至る。


道はセンターラインもない町道。
しかもとんでもないグニャグニャ道である。
運がよければウサギや鹿やイノシシと出会うことも可能だ。


道しるべに書かれているのはほとんどが寺の名前
いや、確かに多いし重要な観光資源だけどさあ…

そして走り続けるとさすが山道。

隧道だ。

岩門隧道 山口側(北側)坑口

深緑の中に突如現れるいかにも手掘りの隧道。

まあ国東半島ではどこでも見られるようなスタンダードな隧道だ。




と思ったらデカイ。


ラジコンとかプラモデルを隧道前に置いているわけではない。

写真に写っている「ホンダ トゥデイXG Limited」のサイズは、
全幅1.395m×全高1.320mである。 

妙にトンネルの有効高が大きいことがわかる。

少々のバスでも通れそうだ。
そうか!観光バス用か!寺巡り用の。

なワケは無いと思うんだが…古いし。




中に入って振り返ってみる。
最近この構図の写真ばかり撮ってるなと自覚している。
緑が非常に目に優しい。


岩門隧道 文珠側(南側)坑口

写真の上のほうを見ればわかるが、このあたりは切り立った山のメッカ。
特に文殊地区周辺はその様相から「文殊耶馬」と呼ばれる。



少し行けば古刹「文珠仙寺」だ。
この長い石段を登っていくと本殿がある。

頑張って上ってくれ。数百段を。
入り口にはちゃんと杖も用意されている。

テキトーな文珠仙寺観光ガイド

「文珠」とはもちろん文珠菩薩のことだ。
知恵の神様だ。いや仏様だ。
三人寄ればのあの人だ。

文珠仙寺奥の院の奥には岩屋があり、その中には
冷水がこんこんと湧き出ている。

これを「知恵の水」といい、飲むと頭が良くなる。
(これを「知恵を授かる」と地元では言っていた)
地元では子供のうちに御参りして知恵の水を頂くのが慣わしである。

管理人ももちろん幼少の頃頂いた。何度か。

その効果は…多分歴史が証明してくれる。

飲みすぎても良くないのではないかという気もする。


頂きたい人は一番上の奥の院でお賽銭入れてお寺の人に訪ねるといい。
普段は知恵の水が湧き出る岩屋は閉まっている。
勝手に行って勝手にグビグビ飲めるものでもない。
住職が小さな杯に注いでくれるのでそれを頂く。

変な勘違いしてペットボトルとかポリタンクとか持っていかないように。


※正月2日には「知恵がゆ」という御粥を振舞っているので
頭が良くなりたい人は行ってみるといい。


で、

あのトンネルはいつ出来たんだろう。
ずいぶん古いものなんだろうなと思って調べたら大正10年とある。

なるほど。

それでは地図を広げてみよう。

明治36年版 無いな。細い道は描かれているがルートがやや違う。
昭和2年版 やはりまだ出来ていないな。…え?
昭和26年版 まだ無い…。え、新しいの?
昭和46年番 無い…。ちょっとまて。
昭和46年測量版では載っていなくて、古い山道がやや違うルートを
変えて改良されているように見えるが隧道は無い。
これはどういうことだ?


昭和46年測量 五万分の一地形図「鶴川」
国土地理院発行


まず、北部の来浦(くのうら)谷を上ってくると、岩戸寺地区に到達し、
道はそのまま半島中央を目指す。
現在の県道文殊山浜線である。

次に南側の富来谷。富来浦から上ってくると県道は突如山を越えて
南の成仏地区に行ってしまう。犬鼻隧道のある県道だ。
この道の歴史は深く、明治時代には既に「高田往還」と呼ばれていた。

しかし文殊仙寺は富来谷を県道から別れて真っ直ぐ上ったところである。
この道は現在の市道文殊線である。

さて、昭和40年代までの資料(国東町史含む)において、
上図赤丸(岩門隧道)の箇所を通る道路が無いのだ。


来浦谷から富来谷に抜ける道もかねてよりあることはあった。
明治時代の「岩戸寺・大恩寺線」がそれにあたると思われる。(国東町史より)

それを改修したのが現在岩門隧道がある道なのか?
残念ながら現在のところわかっていない。

なぜ資料では大正10年なのか?

国東町史によると前述の市道文殊線。これの町道指定が大正10年なのだ。
おそらくこれを後年になって隧道完成年としてしまったのでは無いだろうか。

でも隧道はその町道を通っていない。


可能性としては…


コイツが通るルートは昭和後期に作られており、
このトンネルはまだ40歳になっていないってことだ。

ホントに観光バス用につくったんじゃないかという気がしてきた…

おわり


誰か知りませんか?情報求む。薄謝(お礼の言葉)進呈します。

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2008.9.26


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