国東半島巡り 国東町2
犬鼻隧道
いぬはなずいどう 県道赤根富来浦線
大分県国東市国東町下成仏
竣工 1927年(昭和2年)以前 延長 340m

国東半島の地形は、早い話が半島中央から海に向かって
放射状に延びる尾根地形と、それに挟まれた谷の集合体である。

そのため、隣の集落に行くには尾根を横断する必要がある場合がほとんど。
多くは明治時代、海岸沿いに隧道を掘ることでその目的を達したが、
海岸から程遠い山間部にも、先人達の苦労の跡が残っている。
今回行く隧道も、そんな山間部の尾根越えのために掘りぬかれた。


ここは国東市国東町の海岸からだいぶ離れた場所。
旧制上国崎町にあたる。
左奥に見えるのが、国東半島を形成し、隧道大国に仕立て上げた張本人、
半島最高峰「両子山(ふたごさん)」である。



既に「県道?」といえるような状況になってきているが、青看板を見れば確かに県道。
山のほうから下ってきて、写真中央から尾根に向かう道が今回のターゲット。
一般県道赤根富来浦線(県道652号)である。






標識には高さ制限2.5mとあり、「この先トンネル」とある。
イイヨイイヨ〜。

と、その横になにやらぬりかべのような石碑が。



高尾道路と書かれている。
おそらくこの尾根越えルートの道が建設された際の記念碑だろう。
漢字・カタカナがびっちりと彫りこまれている。

ちょっと解読してみよう。


って思ったら、JISで出てこない漢字のオンパレードで困る。


□内は結局変換不可能・音読不可能だった文字。
中には間違った解読もあると思うが、大体のニュアンスとしては、

「上国崎町と富来村は隣り合ってて仲良かったから、『道路を造ろうぜ!』ってことで、
みんなで頑張って大正15年8月から昭和4年4月までで難工事を仕上げたぜ!
スゲー便利になったし、お金はみんなで分担した。もう両町村のみんなが頑張ったし、
役場の人たちにもスゲー感謝。ここに記念碑作って称えちゃう。」

といった感じだろう。

ということでその道、走りましょう。



昭和4年完成の高尾道路、現在は県道指定もされているが、狭い道ではある。
交通量はとても少ない。



1kmも行かないうちに、本命が見えてきました。



犬鼻隧道 下成仏側坑口

国東半島ならどこでもありそうな隧道なんだが、なにやらイヤ〜な感じがする。



とりあえず入ってみましょう。

内部は総モルタル吹付である。


幅員は3.5mなので対向車がなければ走りやすい。

と思ってはいけない。



下成仏側から入る人は気を付けてください。
なぜかここに出っ張りがあります。車ぶつけます。
掘り残しかどうかは分からんがとにかく危ない。

さらに進むと…





なんか不気味なんです。
なまじ照明があるもんだから不気味さがさらに倍増。

さらに、隧道自体は直線なのだが、壁の凹凸がハンパではなく、
真っ直ぐ走ろうとしても、出っ張りがあるので、常にハンドル操作が必要。
行きたい人は気を付けて。

夜にドライブで通った時、助手席の友人はこの地点で「この質感がヤバイ」と感想を述べる。
正直、僕だってあまり一人で通りたい隧道ではない。車であっても。昼であっても。


しかしここ、某高校のマラソン大会のコースだったんである。
しかも女子の

そんなに肝の据わった女子高生ばかりではないぞ国東とはいえ。

ちなみに男子は石碑のあった分岐点からさらに奥まで走り峠を越えるという
心臓破りの30kmコースだった。ああいう無茶はやめてほしい。


さて、富来側坑口が見えてきた。
こちらはコンクリートブロック巻きである。


坑口付近から振り返る。
奥に行くにつれて断面がいい感じで歪んでいくのが分かる。


犬鼻隧道 富来側坑口
こちらはコンクリート製のわりと立派なポータルである。
昭和2年(くらい)の完成後に改修されたものであろうか。
というのも、


犬鼻隧道の扁額。これが右書きなのが昭和ヒトケタでは無いと感じさせる。

ちなみに「いぬはな」と読んでいるが、近くの別の尾根に「犬鼻(いんばな)峠」という
地点がある。確かに国東方言なら「いんばな」のほうがあっていると思う。


こちら側は立派な石垣に囲まれた掘割りである。


「ガサガサッ」

「ビクッ!」


もうすっかり「この道をいけば→」の定番パターンになってしまった
「物音にビビル管理人」の図。




見ると、掘割りの上をキジが結構な速さで走っていった。
上の写真に本体と長い尾が隠れています。



富来側を下っていけば、程なくして道が消える…

正確には奥にガードレールが見えるように、


新しい道を作ってて、旧道からはこのように連絡路が設けられている。


でも、




工事は何年も止まっている。

県道赤根富来浦線、犬鼻隧道をバイパスして、大規模な開削工法で
尾根越えを狙っています。


改良済みの道路を下っていけば旧富来村である。






と、こちらにも旧道が残っていた。
あ、ちなみにこの日は原油高のあおりを受ける形で親父の車を拝借しております親不孝息子です。



こちらにも記念碑があった。

しかし、道路名は「犬鼻道路」だし、起工年・竣工年も微妙にあっちにあった石碑とは違っている。
他に道路があるわけでもないので同じものを示しているとは思うのだが…
ホントに仲よかったの?w

※多分両側から犬鼻隧道までの道路建設をそれぞれ記念しているのだと思う。
あれ?そうすると犬鼻隧道の建設年がずれるな…。調べなおそう。
ちなみに昭和2年の旧版地図には既に記載されている。


谷まで下りてきた。
写真奥(半島中心方向)がメインの道路のように思えるが、
実は県道は左から合流して手前に向かう。


県道はそのまま広い富来谷を海岸部に向かって走る。

上でも述べたが、「夜は走りたくない」犬鼻隧道でした。


おわり

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2008.8.5


赤松隧道
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