耶馬渓 謎の隧道探索 改 二つ目の古隧道を探せ!A
一ツ戸隧道&旧一ツ戸隧道2


現在の国道212号線の「一ツ戸隧道」のそばにとてつもなく古い隧道
あると聞いた我々は、少ない情報を元に山を駆け回った。




しかし、隧道と思われる場所の特定には遂につながらず…、



ただ、周辺の地形にやたらと詳しくなったに過ぎなかった。



そして、協議の結果、万全の準備を得て再挑戦しようと、

今回は名誉の撤退となった。



車に戻ろうと、とぼとぼ国道を歩く一同。

歩道は山側にあるのだが、何の気なしに僕は道路を渡り、川側に行った。

てっく「オレなかなか諦めが悪い男なんで、ちょっと偵察してみまっさ。」


僕はガードレールから身を乗り出し、現隧道横の崖を眺めてみた。



TEC「…。なんか…、見えるんですけど。向こうが。」

「いや、見えますってーーー!!」

チョメ氏「うん、向こうが見えるね…。いや見えるー!

一同「うわ!見えたーーー!!」

確かに写真では左に一級河川山国川が見えている。

なんら不思議ではない光景だ。


しかし我々には、とんでもない向こうの光が見えていた。


(マウス乗っけて光を感じろ)


何か穴が見える。
そして(写真には残念ながら写っていないが)向こうの光が見えていた。


「隧道があったーーーーー!?」


まだはっきりとその姿を見ていないので半信半疑だが…

すでにテンションはRED ZONE

1分前まで汗ダラダラかいてグロッキーだったのに。

我々は早足で現隧道の向こう側に抜けた。






車を止めた場所に戻ってみる。

最初に気がつかなかったのも仕方が無い。




この先に道があるなんて思いもしなかった。ヤブの向こうは崖だ。



地図でもそうなってるじゃーん。



でも…




←現隧道                        山国川→
うお!?




うおーーーー!?





うぎゃーーーーーー!!!!


なんデスかこれはーーーーーー!!






意外にデカイ。

そして光採り用だろうか、大きな穴があいており、
残った岩盤があたかも柱のようになっている。

これこそが秘境耶馬渓の往来のために江戸時代に造られたという
旧一ツ戸隧道の姿である。(参考:taiheiさんのページ)


もちろん後年になって拡幅されたものだろう。

壁の鑿の跡が他の隧道とは様子が違うと福岡の自転車のり氏が気づいた。
これはこの隧道が穿つ地盤が、さっき見つけた平原隧道とかに比べて
硬い溶結凝灰岩であるからだと思われる。



旧隧道は、現隧道にぶち当たって行き止まりとなっている。



光採り窓から中津側を覗く。
さっき、あの先からここが見えたんだ。

というか、隧道閉塞点は、現隧道が改修によって延長される前の坑口付近にあるように見える。

つまり、現隧道が1956年に建設された時、まだその坑口は見えていたのではないだろうか。
そして1980年の改修により完全にふさがれて閉まったと考えられる。真偽不明。


ノートに鉛筆で書いた想像図。見づらいですが。



行き止まり箇所から日田側口を望む。

物置にさえなっていなければとても美しい姿だが、それもまた「廃の美」かも。




坑口から真上を望む。

そういえばさっきあそこにいたような気がする…


ちなみにこの道は国道だったのか?

山国川沿いの中津〜日田間の街道が、前年の道路法施行により
二級国道212号として指定されたのが1953年(昭和28年)。

現隧道の建設は1956年(昭和31年)。

つまり3年間は確かにこの道が国道だったのです。



1ルート2ルート3ルートときましたが、無駄ではありません。

これが探検なのです!




旧一ツ戸隧道 日田側坑口
(旧)ひとつとずいどう 国道212号線旧道
大分県中津市耶馬溪町一ツ戸
竣工 不明(江戸時代?) 延長 不明


MissionComplete




ところで…



隧道内に転がっていたこれ。これ何かわかる人います?
わかる人はある程度高い確率で実家が農家。
(答えはドラッグ↓)
唐箕(とうみ)

収穫した穀物を右の三角のところから入れて、中央のハンドルを回すと、
丸いドラムの中の羽が回転し、ゴミやもみガラ、不ぞろいの穀物を吹き飛ばす。
そして、良品質の穀物のみが左に見える出口から出てくるという、
画期的な農機具です。

てっく実家にもありました。





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2008.5.23

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