国東半島巡り 豊後高田市2
平野隧道

本日も晴天なり。

現在、豊後高田市田染(たしぶ)地域を快走しております。


(って、うわ、このネタ2008年正月探索の時のだ…)



古代の宇佐神宮を発祥とする八幡信仰と天台宗、そして古代からの山岳信仰が
結びつき生まれた独特の神仏習合文化「六郷満山文化」。

その六郷の1つに数えられるのがこの地域。
かつて「田染荘」と呼ばれた。



そんな古式ゆかしき地域なので、由緒ある神社仏閣も多数。

その中でも国の重要文化財に指定されているのが、田染真木地区の「真木大堂」。



今回は行っていないが、前を通る道は最近改良されたようだ。

これが一般県道655号新城山香線である。

僕はこの日、実家から現在の住みかである熊本を目指して、
ちょっと寄り道しながら、まずは国道10号線を目指していた。

この道を越えていけば国道10号線に出るはずだ。
地図ではそうなっている。


と、





なにやら笑える見事な二等辺三角形が現れた。
大胆なカットだ。

僕の頭部に装着されたスーパーコンピューターが、

「昔ノ県道→バイパス化→旧道アリ→尾根アリ→隧道アリ?

と、瞬速で計算した。

そして、その計算結果とリンクするようにすみやかに
ハンドルを左に切るスーパーステアリング。

単に道を走っていただけなのだが、いきなり「国東モード」にスイッチ。
これが僕の国東半島でのドライビング・スタイルだ。

助手席に乗った人は大迷惑だ。

そして古びた道を進めば…


なにやら溜め池沿いの道だが、センターラインが引かれていた跡が!




ビンゴ!
いきなり収穫アリだ。



平野隧道 豊後高田側(北側)坑口
ひらのずいどう (旧)県道新城山香線
大分県豊後高田市田染平野
竣工 昭和初期あたり 延長 57m

廃道化して間もないハズの隧道である(注1)。

二等辺三角形が作られた、もとい県道が改良されたのが数年前。

わずか数年で道がここまで荒れてしまったというのか?



比較になるものが無いので恐縮だが、この隧道…でかい。
高さもかなりあるので大型トラックでも通れる。

残念ながら向こう側はネットで通行止め処置がとられていたため、
現在は物置に成り果てている。

いったん引き返し、向こう側に回ってみる。




平野隧道 山香側(南側)坑口


…。


大胆なカットだ…



こんなのが普通に転がってる我が故郷はホントに偉大だと思う。


※注1

「山形の廃道」様のリストでは延長70m、幅員3.5mとなっているが明らかに違う。
「tunnelweb」様のリストでは昭和45年建設となっている。延長は57m。
しかし建設は後述の通り大正〜昭和初期であるので、これは
昭和45年(1970年)に拡幅を受けたものと考えられる。

そして、tunnelweb様のリストの方が延長が短い件。
当該リストの作成が平成16年度。
つまり県道は既に改良工事が始まっており、トンネルも13m分が
工事によって切り取られていたのであろう。

ということは案外平野隧道の廃道化は早かったのでは?とも思う。

この田染付近に在住の読者様いませんか〜(^_^;)




■(旧)県道新城山香線を行く

平野隧道を抜けると(実際は不可能だが)目の前を改良された県道が横切る。
県道はそのまま南下し山を越える。立派な道路だ。いるのか?ホントに。

しかし、平野隧道とほぼ直交している(というか隧道を途中でぶった切っている)ということは、
平野隧道を含めた旧道は現道とは違うルートであったことを示す。

実際に平野隧道から飛び出した旧道は現県道を横切って南西方向に伸びる。
そして今下田、陽平(ひなたびら)の各集落を抜け、同じく山を越えて山香へ抜ける。
これが旧道となるわけだが、ここまでルートがまるっきり変わってしまう改良もすごい。



そして、この旧道にも…



昭和26年応急修正 地理調査所発行五万分の一地形図「豊後杵築」

あるんでございますわよ♪

「山形の廃道」様のトンネルリストに、平野隧道に続いて
「下今下駄隧道」「上今下駄隧道」という2つの隧道が記載されている。

※多分「下駄」は「下田」の誤植だと思われるのだが…


さて、地図を頼りに旧道を走るのだが、隧道が見当たらない。
写真は「下今下駄隧道」の辺りから撮っている。ハズだ。
どうやら完膚なきまでに開削されてしまっているようだ。



と、道端に「県道開鑿記念碑」と書かれた石碑が鎮座していた。

新城山香線は、まず峠越え区間の田染真中(真木大堂の近く)から
旧山香町の立石までが県道として大正12年起工、昭和11年に開通している。
参考文献:「豊後高田市 明治百年」

平野隧道を始めとする3つの隧道はこの頃のものであろう。
おそらく小さな素掘りの隧道であったはずだ。
モッタイナイ…



非常に見づらいが、「大正十二年」と「昭和十一年」の文字が見える。

そして道は陽平地区を抜けて峠を目指すが、
やはり隧道は見つからない。


上今下駄隧道 があった場所

行ったりきたりしたが、もうここしかないだろう。
道路拡幅に伴い、切通しになっている。

しかし上なのか下なのかワケわからなくなってくる。

※ちなみに現在でも一部の地図にはこの隧道が描かれています。混乱します。
その際も下(略)隧道は描かれていないので、上(略)のほうがあとに開削されたのであろう。




峠から先は狭いワインディングロードとなり、写真の位置で国道10号合流となる。


八幡信仰と山岳信仰を基礎とし、神仏習合と呼ばれる六郷満山。
行かれた際はご確認ください。

お寺に鳥居があります。

民家には仏壇の隣に神棚があります。

そして隣の集落との間にトンネルがあります。

立派な文化です。

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2008.10.6


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