特設ステージNo.3
チギリメン隧道

探検隊チギリメン隧道に行く その1

特設ステージ第3回目は、国東半島における隧道では唯一全国区ともいえる隧道。

その名も「チギリメン隧道」

竣工年、現在の状態、そのワケわからん名前、どれをとっても一級品だ。

隧道大国、国東半島の黎明期に現れた隧道。その実態に迫る。


■明治24年 国見町■

今回は実際の探検の前に、本隧道の位置する大分県国東市国見町伊美地区の
当時の状況を説明しよう。

当時は本地域には伊美村、上伊美村、竹田津村の3つがあった。
いずれも昭和期に他村もあわせて合併し国見町となり、最近国東市となった。

伊美村、上伊美村のある伊美谷と、竹田津谷は半島中心から延びる尾根を境界としており、
それぞれの交流は江戸時代からの往還道をはじめとする山越え道を用いるしかなかった。

しかし、それでは不便ということで、上伊美村から竹田津村へ通ずる
二つの隧道が掘りぬかれたのが明治24年のことである。

ひとつは竹田津村内にて櫛海(くしのみ)地区と鬼籠(きこ)地区を繋ぐ箕ヶ岩隧道
そして、櫛海地区と上伊美村とを繋ぐのがチギリメン隧道だ。


明治35年測量 大日本帝国陸地測量部発行五万分の一地形図「姫嶋」
明治36年測量 大日本帝国陸地測量部発行五万分の一地形図「鶴川」

マウスアップで現れる3つの道路が、当時本地区に存在した3つの往還路である。
この地域はそれぞれの往還が集まってくる要衝であったことがわかる。

この隧道の貫通により、竹田津村と上伊美村の交易はいっそう盛んになる。

ちなみに竣工年の明治24年、国東半島沿岸部には殆ど隧道はなく、
西の豊後高田方面から竹田津村まで「沿岸道路」が開通したのが明治34年。
東の国東町方面から伊美村までの「北部海岸道路」が開通したのが明治42年のことである。
いずれの道路も現在の国道213号線となる。

そしてチギリメン隧道開通から43年後の昭和9年、直下に妙見隧道が貫通。
狭い山道を通っていたチギリメン隧道の主要路としての役目は終わった。

そしてその約70年後。


21世紀、廃道界の隆盛とともになぜか注目を浴びることになったチギリメン隧道。

既に到達したオブローダー(廃道者)多数。
レポートされたサイトも複数ある。



完全に出遅れた地元民。


「だってそんなんあるとか知らなかったんだも〜ん。」

そう、その隧道は地元ですら既に神話の域に達する存在だったのだ。


■竹田津側アプローチ■

さて、今回の探検にはおなじみ探検北九 ○○探検隊のチョメ隊長に同行いただいた。
(ちなみに彼と参加する探索のレポートは当サイトでは「探検隊」の名を冠すようにしている。)

一人より二人のほうが楽しいというのもあるが、ことこの隧道に関しては
「一人では絶対に入りたくない」という要因がとてもデカイ。それがメイン。


さて、まず二人は旧竹田津村側の櫛海にやってきた。
当時の地図を確認し、登っていく道を探す。


ちなみに上写真右が妙見隧道。この尾根に掘られた二代目の隧道だ。
そして左が現道、国道213号線国見トンネルだ。

初代は写真右上の尾根に隠れている。はず。
尾根へは手前の櫛海集落から細い道を登っていく。


地元の人に怪しまれないよう、そそくさと山に入ってしまう探検隊。
眼下には櫛海集落。その向こうに竹田津干拓を挟んで周防灘が見える。

ゴールデンウイークにふさわしい快晴だ。(平成20年5月3日)
各地の行楽地はにぎわっていることだろう。


一方、普通のゴールデンウイークを過ごす気の無い探検隊は、
こんな道をひたすら歩いていた。
道は現在も農業用道路として使われているようだ。



しかし、目的の尾根近くまで来たところで道をロスト。
左には若干下っていくケモノ道のようなものがあるような無いような…
もし道であれば、コレは上記の浦辺往還に相当すると思われる。




道をロストする地点で、右を向くと何やらアヤシイ竹やぶが見えていた。

チギリメン隧道について予備知識のない方には先に言っておこう。


この隧道、


竹田津側坑口は完全に潰れています。

もちろん我々もそのことは百も承知で乗り込んできている。

ただただ、「その地点が見たい」と言う欲望のためのヤブ漕ぎです。



写真ではわかりにくいが、アヤシイ方面に足を伸ばすと、両側に壁が。
明らかに掘割り、切通しだ。よく見れば道も残っている。




そして行き止まる。

道路の伸びる方向には崖のようなもの。
僕の本業的に言えば「旧崩壊地形」

間違いない、ここだ。

その崩壊跡地に上ってみる。


チギリメン隧道 竹田津側坑口 崩壊地点

おそらく写真中央から右は崩れ落ちた坑口である。
崩壊がいつごろのことかはわからないが、植生の状況からも10年20年ではなさそうだ。

1891年に竣工した隧道の117年後の姿である。



坑口跡から竹田津方面を望む。わりと広い道路だったようだ。
写真には写っていないが、なぜかコンバインが1台放置されていた。

わりとあっさりと旧坑口を発見した我々は、いったん下山し、
妙見隧道をくぐって旧上伊美村側からアプローチすることにした。

何度も言うが、竹田津側が潰れているのである。

ということは…。




…コレからが本番である。


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2008.7.20


チギリメン隧道02
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