国東半島巡り 国東町3
赤松隧道
あかまつずいどう 国東市道
大分県国東市国東町赤松
竣工 1933年(昭和8年) 延長 50m

沿岸部の国道には1つのトンネルもない国東市国東町(旧制東国東郡国東町)だが、
ちょっと山間部に行けばそこは国東半島、隧道が無いわけない。

前回紹介の犬鼻隧道同様、隣の集落との連絡のため設けられた
尾根越え道と小さな隧道が今回のターゲットだ。


ここは犬鼻隧道に国東側から向かう途中、左に折れたとある地区。

目当ての隧道は写真中央の尾根を左右から貫いている。

前日の夜に友人とドライブしながら、どさくさにまぎれて下見に行こうと思ったが、
間違えて右側の尾根に行ってしまったため敢え無く深夜の迷走と相成った。

翌日、気を取り直して尾根の南側、赤松地区からアプローチ。


国東市中心部から上ってくるのが右の道路である。
写真は振り返って撮っているため、写真奥が海側となる。
突然道は鋭角に分岐しており、この左側の道路がお目当ての道だ。


さほど広くはないが、車一台余裕の幅で、雰囲気は犬鼻隧道の時に似ている。
こちらも対向車は余裕のゼロだ。


と、かなり早い段階で隧道が現れる。


赤松隧道 赤松側(南側)坑口

なかなか立派な門構えである。
コレが全部本物のブロック済みアーチ型ポータルなら近代土木遺産登録間違いない。
(詳しい人には、要(かなめ)石が見えないことからもコレがタダの造形、フェイク・アーチだと分かるだろう)


ずいぶん短い隧道であり、中に入ると実は素掘りですよという基本スタイルを踏襲。
途中まではコンクリート巻き。


振り返れば立派な断面で、ちゃんと照明もある。


例によって地山は凝灰角礫岩層だ。
モルタルの吹きつけも部分的に行われている。

崩落とかの危険はないのだろうかと思っていたら、


ちゃんと崩落したようだ。
途中、突然天井が高くなっているが、コレはもう崩落の補修以外にありえない。



さて岩屋側の坑口まで来たが、コンクリート巻きになってないぞ?


赤松隧道 岩屋側(北側)坑口

なんでこう、国東の人は片方をしっかり作ったら力尽きるかなあ…
ここも、ここもそうだった。


しかも、脇で結構大きな崩壊が起きているが、
直すことなく土嚢を積んでいるだけ。
予算の問題もあろうけど、これ数年前ってレベルじゃないだろ…


一路、岩屋地区を目指し道路は下っていく。



さて、北側の岩屋地区に下りてきた。
この狭い道、結構使われているんだろうかと思っていたら、
プロパンガスを満載したトラックが道を登っていった。

日常的生活道路なんだろう。


と、なにやら道端に石碑があった。
犬鼻隧道の時のように詳しく道を作った経緯が書いてあれば助かるが…


「帝国討清之年!」とか気合十分に書いてある。
なんか様子が違うな。

実は日清・日露戦争が終わった後、各地で「戦勝記念碑」というものが
立てられている。おそらくそれなんだろう。

そのとても威風堂々たる石碑の横に、ちょこんと小さな石碑があった。


「明治四十四年九月竣工 赤松通」とある。

ひとやま越えた向こう側の集落名が冠されているということは、
今通ってきた道が「赤松通」である可能性が高い。

しかしながら、昭和2年の地形図にはまだ隧道マークはなく、初出は昭和26年。
赤松隧道自体は昭和8年の竣工であるので、それまでは山越えの道があったのだあろう。

とにかくこの年、赤松集落から岩屋集落までの道が完成し、
人々の往来が楽になったと想像される。


と、思っていたんだが、



以下の地形図を見ていただきたい。

東側が沿岸部、国東町中心部方向である。赤松隧道は左下赤丸である。

昭和26年応急修正 五万分の一地形図「鶴川」
建設省地理調査所発行

これ…、東側の地間地区を回れば、普通に岩屋地区にいけるんですが…
わざわざトンネルで山越さなくても…



まあ、何かしらの産業活動に必要だったのか、
地間地区に怖い犬がいたかのどちらかだろう。


おわり

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2008.8.15


岩門隧道
岩門隧道
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