2009GW 突発OFF in国東

1日目 その3
平淵隧道 Second Edition

国東半島の、ほぼ中心部にある走水観音隧道を後にした我々は、
一路半島の付け根、杵築市の山中を目指す。

国東半島はよくできたもので、ほぼ円形であり、半島中心からなら
東西南北どちらに向かっても短時間で幹線である国道10号や国道213号に出れる。
つまり半島の向こう側に行きたければ、まずは半島中心部を目指せばいいのだ。

時計にたとえれば、3時の位置から9時の位置を目指すのに
12時の位置を経由せずに、針の軸を一直線に横切るような感じだ。

ここまで書いて、何当たり前のこと書いてんだろオレ?
と、我に返ってしまった。

いや、えっとね、中央部に山があってね、地形がすごくてね、
それでも道路がね…



やめた。



で、現在我々は時計の中心から6時の位置を目指している。

とりあえず、弁当を買うために国道10号を目指しているのだ。


まあ、山中なのでこんなのどかな景色が延々と続いたりする。
ってかnagajisさんいつの間にこんな写真撮ってたんですか?
右下に写ってますよ?

で、国道10号線でコンビニを発見した我々は、大挙してそこを攻略。
お昼をだいぶ過ぎていながらも弁当を買うことに成功した。


↓そして我々が向かうのはここである。



そう。
僕がこのサイトを始めてまもなく紹介できた「平淵隧道」だ。


前回の地図を使い回す。


あの時(2008年正月)僕は左側の下川久保から隧道に向かったが、
今回は右側の生桑地区(杵築側)から行ってみようと思う。

地図右端の神社マークのところだ。

まずは到着し車を停めたところで地べたに座って弁当を食べるメンバー。

その後、よっこいしょと立てばそこは廃道入り口である。


日出町役場の方々が、あまりの廃道っぷりに驚き、
あわてて通行止め処置を行ったと言う道だ。
で、適当な看板が無かったので、「道路工事中」という
やや誇大広告気味の看板を持ってきてしまったとのこと。

さて、僕もここから先は未知だ。

行って見ましょう。






しかしまあ…



いつ来てもアレだ…



道って30年でこんなんなっちゃうんですね…

(昭和51年に土砂災害によって通行止めになってそれっきりってことが判明している。)



これでも、2年前の測量隊が伐採してくれたおかげで
歩きやすくなっているんである。



そういえば、唐突にここで前回探索の後日談。

地元に帰ったとき、近所を歩いていたら幼馴染と数年ぶりに会うことができた。
もう2歳3歳のときから遊んできた仲だ。

聞けば今は日出町に住んでおり、建設系の会社に勤めているとのこと。
おお、偶然。オレもオレもって話で盛り上がり、僕はふとお世話になった彼を思い出した。

「あのさ、日出町役場の○○さんって知ってる?」

そう。僕の問い合わせメールに丁寧に対応してくれて、
最終的に大分県庁まで動かした彼だ。


別府土木事務所で「発見」された資料を送っていただいた。

すると幼馴染の口からは、
「ああ、知ってるよ。いつも一緒に仕事してるわ。」との弁。

うわーーー、スゲー偶然もあったもんじゃん!

「お世話になりましたってよろしく言っといて」
と頼むと、当たり前の質問が来た。

「いったい何をしたんだ。日出町で。」

で、僕はこうこうこういうサイトをやってて、平淵隧道でお世話になったと話した。
普通はここで「何やってんだ。」と思うことだろう。


ところが帰ってきた言葉はこうだった。













「あー、あそこ測量したのウチの会社。」


ちょっと待て。偶然にも程があるぞ!


ということで、幼馴染が伐採してくれた廃道を歩いております。



                                       マフ巻き氏撮影
しかしよく見たら、ナメた格好で廃道を歩くやつもいたもんだ。
あ、自分だわ。




ガードレールも残ってはいるが、これ宙に浮いてます。
手前の道路もごっそり川に落ちている。

「あのー、なんか怖いんでみんな山側歩いて下さいね〜。」
最低限、案内者としての義務を果たすも、釈迦に説法だ。みんなそうしてる。



お!見えてきた見えてきた。

平淵第一隧道に到着である。


中の崩落具合もあのときのままだ。




写っては無いが、みんな写真をバシャバシャやってる。
喜んでもらえてなによりでございまする。


そして次を目指す。そう、ここは2連隧道。


先頭を歩くnagajis氏の向こうに第二隧道が見えてきた。


ここでまた日出町様に頂いた写真を。


在りし日の平淵第二隧道

ほぼ同じアングルで撮影している。
興味深い。



                                      マフ巻き氏撮影
お互い向かい合って写真を撮っているnagajis氏とjuncom氏。


で、僕は前回ここのコンクリートの壁に書かれた落書きから
廃道の年代測定を行ったのだが…



昭和51年5月3日に書かれたと思われる落書き。

で、僕は昭和51年まではこの道路は現役で、
頂いた資料や周辺の橋の竣工年から、このコンクリート巻き改修は
昭和39年前後と判断した。


すると誰とも無く、もうひとつの落書きを発見した。
僕の年代測定結果を覆す発見かもしれない。



昭和十年の文字が書かれ、その下の文字は判別できないが、
隣にこのトンネルの所在地が大雑把に書かれている。

ほんとにコレ、昭和10年に書かれたものなの…?
イヤイヤ、昭和50年にだって、昭和十年って書くことはできるで?

う〜ん…


なんか、案内に来ただけなのに、とんでもない情報をもって帰ることになってしまった。


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2009.6.9


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