2008秋の探検OFF その3 次なる登山
岳滅鬼峠「法華窟」
■時間が無い■
萱切隧道から「下りて」きた我々。
時計を見ると既に正午近い。
次なる目的地「岳滅鬼(ガクメキ)」とは一体何なのか。
夜中に改造バイクで走り回る団体の名前ではないので夜露死苦。
上図中央、福岡−大分県境の
岳滅鬼山
の隣に
岳滅鬼峠
が見える。
この峠に上る登山道の途中、地図中の赤丸のあたりに
どうやら江戸時代に岩山を貫いた隧道というか穴があるらしい。
その名を
「法華窟」
。
徹頭徹尾いかつい名前はなんなんだ。
チョメ氏といつも「いつか行こう」と言っていた穴だ。
ちなみに現在我々は上の地図の欄外はるか上あたりにいる。
とりあえず昼食をと、我々は中津市の道の駅「やまくに」に向かった。
さらっと書いているが、このあたりの福岡と大分の県境は
すべからく「きつい峠道」である。
野峠という峠
を越えて大分県へ入る。
たしか朝も大分県にいたような気がする。大気圏再突入だ。
そして弁当を食べている時点で既に時計は
午後1時
をまわる。
「…。」
「ちょっときつくないっすか?
今から登山は。
」
3人とも同じことを考えていた。
しかも3人とも、法華窟までの道を知らないことが判明。
どうやら無茶である。
このあたりで予定の立て方が悪かったことを自覚。
どうしよう。
僕はふと、自分が半年前に行った、とある隧道を思い出した。
そこからなら熊本市まで1時間である。なんとか夜には帰れるはずだ。
「
熊本の菊池に行きましょう。
古い隧道群、案内しますよ。」
異論は出なかった。
そしてそこからロングドライブが始まった。
2008秋の探検OFF その3 予定変更
堀切隧道群〜熊本県
急遽我々はルートを変更し、熊本県北部の菊池市を目指す。
コレはコレで結構なルートなんだけどね。
この移動だけで2時間かかったし。
ちなみに菊池到着時点で、夕方の
4時半
。
夜から参加するnissy氏にメールを打つと、彼、
既に熊本市街地で待機中だった。
やる気ありすぎ。
夜7時
集合のはずなのに。
11月ということもあり、我々が到着したころには日もだいぶ傾いていた。
おかげで、
こんなことになっております。怖いです。
ということで、ここからは以前昼間に訪れて撮影し、
そのままハードディスクの肥やしになりかけていた写真を使います。
探検から半年前(20年5月)のものです。
昼間のうちに来ればだいぶ明るい。あくまで比較的、ね。
第二堀切隧道 山鹿側坑口
さて、どうやらこの隧道。
ちょっと規模の大きな坑口崩壊を起こしているようだ。
というのも、
この断面は無い。
写真の半分から下が本来の隧道の壁。
そして上は崩落したために隧道が短くなっているために
(天井が抜けたために)
こんな写真になってしまうのだ。
ここの地質は
「阿蘇火砕流堆積物」
。
溶結凝灰岩という、高温の火山灰等が堆積後に自分の熱で
溶けて固まったものである。
コレは非常にトンネルが掘り易い地質であり、道路トンネル数第1位の
我らが大分県でバカスカ隧道が掘られる要因でもある。
旧阿蘇火山がカルデラを造った4回目の大爆発(8万年前)の際に
放出された火砕流は現在も熊本県北部を広く覆っており、
ちょっと「台地?」って感じのところはほとんどがこれによって形成された
火砕流台地である。熊本の土木技術者には常識だけどテストには出ない。
さて、進行方向。こっちは無事のようだ。
しかしトンネルがカーブしてるんで、中は暗い。ホントに暗い。マジで怖い。
堀切第二隧道 菊池側坑口
だいにほりきりずいどう
菊池市道
熊本県菊池市木野字堀切
竣工
1900年(明治33
年)
延長
16m
全長が短いながらも隧道の曲がりっぷりが分かると思う。
道路が無ければただの洞窟の入り口にしか見えない。
さて、隣の山鹿市側から来たため、まず第二隧道を通った我々。
そのまま菊池市方面を目指す。
そして、この狭い道路をさらに行き、カーブに差し掛かったところで、
すぐに次の隧道が見えてきた。
堀切第一隧道 山鹿側坑口
こちらも凝灰岩をひたすら掘り抜いた素掘り隧道である。
↓ちなみに夕方に来るとこうなる
激コワ
傍らに改修記念碑が建っていた。
読めば、これは隧道二箇所、架橋一箇所の道路改良工事。
これを堀切地区の僅か三十戸の人々の手によって行ったという。
彼らの力役により車馬が自由に行き来のできる道路にした。
明治33年3月起工、同年5月には開通を見たという。
(え?速すぎない?でもそう書いてる。)
ちなみにワタクシはこの記念碑に書かれていた、
「高
(き)
を削り 低
(き)
を埋めて」
というコレ以上ない名文句が気に入った。
ディスイズ土木工事である。
そして村民により掘られたこの隧道。
全長こそ短いものの、完全に
イカれている
。
まあ、入ってみれば分かる。
↓
スゲー断面。
この迫力は650×488ピクセルでも表せない。
ぜひ実物を見ていただきたい。
まあ、光の加減でやや誇張されているが、
日本古来の
秘技「観音掘り」
もココまで来るとアートだ。
中は手彫りのごつごつした表面に、ところどころ穴が開いたりしていて
非常にいびつである。一体何なんだろうと思ったが暗くて見えないの。
この観音堂を思わせる尖頂形の断面が力学的に非常に優れている。らしい。
しかし↑の光景を見上げながら、さらに首を上に曲げていくと、
純粋にヤバそうである。
これはアレね。
雨降ったら「くる」よね。
堀切第一隧道 菊池側坑口
だいいちほりきりずいどう
菊池市道
熊本県菊池市木野字堀切
竣工
1900年(明治33
年)
延長
17m
ちなみに隧道脇に怪しげな道あり。
こういう道を見ると
「隧道?」
などとワケわからん期待をしてしまう我々。
ずんずん入っていったが、さして何も見つけることなく戻ってきた。
堀切地区に入ってきて振り返る。
狭い道なのに結構普通車の通行が多い
堀切地区全景。
下の地図の右下から中央上方向を撮っている。
写真右奥に第一、第二堀切隧道がある。
ちなみに今ここまで来ています。
さて、なかなかの古隧道だったでしょ?
さて、呑むぞーーー!!
馬刺しも食うぞーーーー!!
の前にちょっとまってねエビバディ。
「堀切隧道」でググってみて。
こんな単語が出てくるかもしれない。
「第五堀切隧道」
我々は先ほど「第二」までは通ったよね。
つづく→
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2009.4.16