2008秋の探検OFF その2 明治隧道に「登ります」
萱切隧道

■山登り開始!■

さて、稲童掩体壕群を見学した我々は、急いで次の目的地へと向かう。
何しろ今日の予定は、「残り2つの隧道」と余裕そうに見えるが、

「いずれも登山を要する」

という前情報。

時間は無駄にできない。


例によって隧道までの道はチョメ氏しか知らないので、彼に先導をお願いする。
先頭のバイクがチョメ氏。それを追うのが福岡の自転車のり氏の車である。





さて、時計はそろそろ11時を指そうとしている中、チョメ氏に導かれるままに
結構山の中に入ってきた。ここは築上町本庄。
西側の尾根にその隧道はあるそうだ。

名を萱切(カヤキリ)隧道



萱切隧道は明治36年、この地で診療を行っていた医師、内野東庵を
発起人として地元の人々の手によって掘られたという。

彼は医師として、萱切峠を越えて運ばれてくる患者の中に、その険しい道中の為
手遅れになったりする人もいることに心を痛め、この隧道を起案し、各方面との
協議の後、工事にこぎつけたという。




しかも、これに際して彼はこの峠の向こうの犀川(さいがわ)町(現みやこ町犀川)にも
診療所を設け、朝は本庄、昼から犀川で診療を行い毎日峠を行き来した。
彼はそうやって3年かけて隧道工事の資金を集めたと言う。
その金額「1000円」。
これが現在のいくらかは単純には分からないが、100mのトンネルを掘る
人件費である。まあ、すごい金額だ。

ともあれ、東庵は現在も地元に「偉人」として伝えられる人なわけだ。

さて、その道に入ってきましたよ。


なんだ、林道になってるじゃないか。
これなら歩きやすい。余裕だな。
と思っていたら、

チョメ氏「あ、そこから右ね。」


「右っすか隊長?!」

しょっぱなから不意打ちを食らったぜ。
なにやら石段が林道から分かれて山に登っている。
嫌な予感プンプンである。


しかし道を撮った写真に見えるかね。

お、なにか中央に看板みたいなものが。



これは親切だ。地元の方によって道しるべが立てられている。

しかし「トンネル」に対して「登口」ってのがさらっと書かれていて怖い。




これは…
ちなみにこれは明治時代、隧道が作られる前の道ではなく、
隧道開通後の取り付け道路のはずである。多分。





実は結構な斜面。

我々は沢なのか道なのかよく分からないものをフーフーいいながら進む。
大局的に見て、現在谷地形の真ん中を登っているのは間違いなさそうだ。

というかマジできつい。普段の運動不足が体にくる。
心は永遠の10代でも体は既に32歳である。

朝5時に起きて車で150kmドライブしてコレ。



チョメ氏「その先は道なりでいいよ〜」



「どう行けば道なりなんですか隊長〜!」

とりあえず谷底を歩いていけば間違いないんだろうけど、
確かにここを病人を担いで通るのはきついとかそんなレベルじゃない。




だんだんと目指す方向の斜面がきつくなってきた。
谷の頂部が近いしるしだ。

すでに「道」の形をした地面というものはあきらめている。

こういうところをかれこれ20分ほど歩いている。

否、「登っている」。

仕事ではこういうところはよく来るんだけど…
こんなとこでトンネルなんて見たこと無い。




と、最後の最後でつづら折れになった道が見えた。

斜面もそろそろ道路をつけるものとしては限界に近い傾斜。

そろそろ隧道か!



確かにここは道だったようだ。石垣もよく見たらある。



あったーーーーー!

ついに登りつめたぞ!



萱切隧道 本庄側(東側)坑口

予想通りの素掘り隧道だった。

と、脇に記念碑が建っていた。




正面右に明治36年3月起工、10月竣工とある。
そして左に発起人として内野東庵の名が。

この峠を毎日往復し、隧道建設費を稼いだ内野東庵。
とても元気なお医者さんと思うなかれ。

彼この時60歳

自らの還暦の祝いとしてこの隧道工事を行ったのである。

還暦祝いに公民館とかに何らかの寄付をするのは田舎ではよく聞く話だ。
うちの実家でもそれは聞いたことがある。

ただし、還暦祝いに「トンネル」を寄付したという話は聞いたことがない。

もう、ただただすごいとしか言いようがない。



この隧道、近年地元でも東庵の偉業を残そうと前後の道の整備等が
行われており、教育の一環であろうか、小学生も訪れているようだ。
名前を書いた札が近くにあった。




振り返ってみる。
よくここまで登ってきたなあとは思うが、確かにここからさらに峠を越すことを
考えると、この隧道がいかにこの峠の行きかいを楽にしたかが分かる。




素掘りであるが、大きな落盤等もなくしっかりしている。
大分国東の隧道を思い起こさせる、なにか懐かしい感じがする。

あっちは両子山系、こっちは彦山系の同じような火砕岩層を
掘りぬいているので当然といえば当然か。





ちなみにそんなに広くはない。

長さは約100m。幅・高さは完成時2.5m。
浜ノ上隧道をちょっと小さくした感じだな。



萱切隧道 犀川側(西側)坑口

なんか…上のほう怖いんですけど。石が。
やはり100年以上の月日も流れれば、坑口崩壊くらいはしょうがないのだろう。




とりあえず恒例の記念写真。




こちらは犀川方面に下っていく道。



うーん。ちょっとわかんないな。上からじゃ。

残念ながら時間と体力の都合で、こちら側の探索は行わず。


振り返ると、トンネル入り口で写真撮影に余念のないチョメ氏。
もちろん福岡の自転車のり氏も写真を撮りまくっている。

廃道野郎達の写真のクオリティに対する情熱は異常である。
取り直しちゃあ液晶で確認の繰り返し。

あんまりこだわらない僕でも時には100枚を越す撮影をするんだが、
彼らはいったい何枚撮影してんだろ?

ともあれ一休みして下山。
来た道を引き返す。

車を置いた近くの神社の駐車場に歩いて戻る途中、
地元のおじさんに声をかけられた。

「カヤキリ見に行っとったか」

はいと答えると「そうかそうか」と嬉しそうにされていた。

チョメ氏いわくやはり内野東庵は今でも地元の誇りなんだそうだ。


僕が還暦を迎えるとき、トンネルとは言わんが、それに相当する価値のものを
地元に寄付できるような立派な人間になっているだろうか。
あと27年だ。


車に戻るとお昼だった。

さて、次もがんばっていこう。


つづく→



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 2009.4.10



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